週間牛乳屋新聞#100(新たなスタート)
みなさん、おはようございます。牛乳屋です。
ついに、記念すべき100回目に達しました!!
2020年4月28日から毎週書き続け、今日に至ったのは本当に感慨深いです。毎週書き続けてきた自分を褒め称えたいと同時に、フォローしてくださる多くの方々に感謝しています!非常感谢!
そして、前から考えていたことを週刊牛乳屋新聞の節目に伝えようと思います。
noteを休刊します。
毎週、見てくださった方には心苦しい限りです。また、自分の習慣となっていたので週末に記事を書かなくなるのは少し寂しくなります。
なぜ休刊を決めたかを説明させていただきます。
1.SNSで何者になろうとする不毛感
人間が情報を発信する理由、それは「誰かに自分の存在を認めてもらいたい」という一点に尽きるかもしれません。自分がSNSで発信した投稿がバズると嬉しいし、フォロワーが増えるともっと嬉しいです。SNSに限らず学術論文もそうでしょう。誰からも引用されず、閲覧されない状況で研究は続きません。
情報を発信していく中で、「他人から認めてほしいのに、認められない」というと必死な人々を多々見るようになり、「何者」にならなければいけないという焦燥感を抱いたこともありました。
ただ、「何者」を演じることに意味を感じなくなりました。人々にとって興味があるけど参入者が少ない「空白地帯」を狙っていけば「何者」を演じることができるけど、そんな演者で人生満足できないっす。
ある日、自分の事業で商品を購入してくれるお客さんと話す機会がありました。東南アジアで生活していたこと、家族へ贈呈品として購入したことを話してもらい、とても嬉しい気持ちになりました。
誰かのために考え抜き、ビジネスをする。他者への繋がりの結果でこそ自分の存在を自分自身で認めることができると再認識しました。
「何者になりたい」
社会に生きる人間であれば、この願いは恐らく消えることはないかもしれません。ダサくたって、地を這いつくばっていいので、僕は商売を通した他者との繋がりを拡げていくことが自分の存在を自分で認めることができる最善の方法だと考えたのです。
2.未来へ進むことでこそ念を断ち切れる
普段ほとんど触れていませんが、過去に創業メンバーから梯子を外され、復讐をしようと思うくらいはらわたが煮えくり返る思いをしました。
しかし、それを止めてくれたのが僕の尊敬する先輩起業家です。過去を過去にする方法、それは苦しくても前に進むしかないと教えてくれました。また、人の痛みを理解できる人なんていないことも教えてくれました。
自分の悲しみや苦しみをいくら人に伝えても貰えるものは同情だけであって、そこから先には何もありません。
この1年間で新しい取り組みを進め、僕はだいぶ前に進めたような気がします。しかし、それでもnoteで過去記事を見ていると心の中にある澱(おり)の存在を思い出してしまうのです。それは、まだ自分がほとんど前に進めていないことを示しているのかもしれません。
noteで自分の思いを書き連ね、未来へ進んでいるつもりが過去に囚われていたのであれば、過去の積み重ねであるnoteから離れて、もっともっと前に進んだ方が良いです。
遠くまで進んでいたら、自然と澱の存在さえ気づかなくなることでしょう。
3.「中国」という軸から一旦離れたい
中国に住んだ経験があり、中国語も日常生活に支障があまりないレベルまで習得したこともあり、周囲よりも少しは(?)中国社会や文化について理解していると自負しています。
しかし、そんな私も中国へ2年ほど行かず、現地の空気感がまったく分からなくなりました。あんなに変化の速い国は3ヶ月行かないだけで認識が若干違ってくるので2年間もあれば分からなくなるのは当然のことかもしれません。
私のフォロワーは中国に縁とゆかりのある方が多いので、自然と中国の話題になるとエンゲージメントが高くなる傾向があります。しかし、自分が中国から離れて中国のことが良く分からなくなっているのに中国のことを語っても説得力が無いなーと感じます。
また、中国ネタにいつまでも固執せず、一旦離れることで新しい視座を得ることができ、人生をより前に進めることができるんじゃないかと感じました。
4.牛乳屋さん、いつかは戻ります
週刊牛乳屋新聞が続いたのは、たまに貰える「いいね」と「コメント」であり、それらはどこかで誰かに「共感」と「発見」を届けることができた証かもしれません。一人でも多くの人に「共感」と「発見」を届けることができれば成功だと思っていますし、「共感」と「発見」を地球上に広げていくのが私の使命だと勝手に考えています。
100回まで続いたのは、僕の記事を読んでくださった読者の方々の存在が大きいです。皆さんの「いいね」が私の原動力になっていたのは間違いありません。末筆ではございますが、感謝申し上げます。謝謝
また近い将来、この場でお会いできる日が来ることを楽しみにしています!
(続く)