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GODZILLA(アニゴジ)感想、強いリスペクトと新しい結末のゴジラ。

マイナスゴジラの系統作品の製作が公開された昨今、私はネットフリックスでアニゴジことGODZILLAを見ていました。

正直かなり好き、ぶっちゃけマイナスゴジラより好き。
シンゴジ>アニゴジ>マイゴジと言った感じ。
今回はその良かった部分についてネタバレ含む形で語りたいなぁと思いまして文章にしました。

●怪獣惑星

これは1話のサブタイトルですが、個人的には怪獣惑星三部作と呼びたいぐらいに、この映画を端的に表した素晴らしいタイトルだと感じています。
ゴジラというか怪獣の基本ギミックとして、人類の発展の先に表れる超常との存在としての怪獣があり、果たして人の進化の果てに怪獣があるのかあるいは怪獣を産むために生命は進化するのか、といった問がなされますが(これもくそ好き)
怪獣たちは惑星を怪獣化していく。
このプロセスと言うか怪獣的な惑星改造というのがあまりにも刺さる好き設定。
一方でこれはまぁ人間にも言える話で、人間も人間向けの惑星改造をします。
それが意図しているしていないにかかわらず。
もしかしたら怪獣も意図して惑星を改造しているわけではなく、その適応空間を作る過程で測らずしも惑星を改造してしまうのかもしれません。
ともかくも、進化の果て、生態系の頂点は惑星を改造していくものだという一種人間にも怪獣的な属性を付与する設定が非常にハマりますね。
この設定は2話のメカゴジラシティやモスラの民(仮称)の存在も同様で、結局その頂点たる怪獣をベースに生態系が作られていきます。
やっぱりメカゴジラシティが出てきたときのテンションがすごかったですね。登場するいろんな惑星の人たちはそれぞれ進化の果てに怪獣を作り、それぞれの怪獣が自分の世界を作っていくという枠組みがメカゴジラシティの登場で明らかになるわけなので。

●過去のゴジラへのリスペクト

基本的にアニゴジは全く新しいことをやろう、と言う感じではなく過去のゴジラの行ってきた良い部分を確実に取り込み行いつつ、アニゴジならではの回答や解釈、SF的な表現を行っていく作品だったと感じています。
大きく分けると、恐怖の対象・象徴としてのゴジラの描写、ゴジラVS人間の面白作戦、そしてゴジラが人間側で戦う怪獣プロレス。
恐怖の対象としてのゴジラは初代などのゴジラVS人間の作品や、シンゴジなどの近年の作品で特にピックアップされていた、核から生まれた人類の罪といった側面のゴジラ。
今回も人類の発展の果てに表れる存在として、ゴジラのもつ罰的な側面がしっかりと出ていたように思います。
ゴジラ討伐作戦ですが、シンゴジのヤシオリ作戦や、後年マイナスゴジラの海神作戦のように、どうもゴジラ討伐に本気になった人間の作戦は少しトンチキになりやすいというか、むちゃくちゃ複雑な工程を多くの人員を犠牲にしつつ一つの装置……あるいはピタゴラ装置のようにゴジラを誘導し罠にかけて、最終的にあらゆる手段を講じて撃退しようとする。
今回も1話、2話でそういった作戦が展開され、特に2話メカゴジラシティでの決戦はその最たるもののように感じました。むっちゃ良い。
最後にですが、ちゃんと怪獣プロレスもやる。
個人的には人間VSゴジラの初代・シンゴジ系統の信者なので、怪獣プロレスに対してそこまで熱烈な思い入れが在るわけでもなく、またゴジラ衰退期の特徴だった怪獣プロレスをそういう目で見てしまう気持ちもあります。
ただリスペクトをもって入れ込むならそれはそれで良い物なんですよ。
ギドラの影がちらほらしてた辺りから、これは怪獣プロレスあるな、と確信のようなものが浮かびはじめ、またこの作品のゴジラの歴史をまるまる取り込みSF的な改変を加えつつ再解釈する姿勢に非情に感銘を受けました。

●過去最高のギドラ

今作のキングギドラは過去のキングギドラのなかでも最高だと感じています。
まさに宇宙怪獣、すべての法則を破壊する異世界の存在。
デザインも何もかも良い。
なだけに、ちょっと倒し方がギミックボスだったのは心残りでもあります。
まぁ、存在が圧倒的過ぎたし目の破壊後、人間の計測機器で捉えるほどこちら側の存在として定義されて攻撃が通るようになるのはかなり人間とゴジラの共同戦闘っぽくてよくはありましたが。
なかでも好きなのが母船を襲うギドラ。
ゼノギアスとかゼノサーガのOPやエヴァっぽさと言うんですかね。
オペレーターたちがSF用語を飛ばしまくりながら混乱していく様。
本当に好きで……。
船が既に落ちていることを観測するオペレーター……最高でしたね。
まぁ、母船が落ちたの本当意外というか、全然予想してなかったので、わりと呆然と見てましたが。
強いて言うと3話は禅問答感が強すぎたというか……メッセージ性やSF解釈とも少し異なるんですよね。
もう少し観念的な話と言うか。
私も嫌いではないですが、ゴジラでその尺で必要だったかなぁとまだ少し悩む部分もあります。

●人類の完全敗北

アニゴジはほぼ人類の完全敗北で幕を閉じます。
僅かな生き残りはいるにはいるんですが、基本的に人類は負け。
もう戦う力を完全に失い、戦う気持ちも完全に失い負ける。
正直新しいです。
滅亡でもなく負けなんですよね。
アニメだからできる、SFだからできる結末と言えばもしかしたらそうかもしれません。
実写で完全敗北に終わってしまうのは少し悲壮感が強すぎるのかもしれませんし。
ただ別にそんな嫌な感じで終わるわけでもないのがアニゴジだったりします。
なんならすがすがしいまである。
アニゴジでは人類は完全にゴジラに負け、そして残された人々とモスラの民にとってのゴジラは恐ろしい自然災害のようなものになる。
ある意味で共生する存在となり、ゴジラを恐れ、畏れながら生きて行く。
モスラの民や生き残った人類にそういった憎しみや、勝敗の感覚を持ち込まない、残さない。
という物語の結末となったわけですが、ぶっちゃけ個人としては動機や着地点としてはそこまで好きではないです。
ゴジラ映画の最後は基本的に後味悪い感じに終わります。
人類の勝利だ!やったー!からのゴジラの細胞とかがぐつぐつで終わるのがゴジラ。
ぶっちゃけこれが好き。
一方のアニゴジはゴジラを憎む存在の一切が居なくなり、すべての戦いと憎しみが終わり、後味はそんなに悪くありません。
ただ私は単純に抗い続ける人類が好きなんですよね。
それが争いと再生との輪廻になろうともそれを繰り返す営みが一種のゴジラでもあり、人類でもある。
アニゴジは本当にすべての争いが終わったかわりに人類の営みにも一種のとどめを刺したのでそこに関しては良い悪い、好き嫌い、と言うよりはこういう択や終わり方、ゴジラもあるのだという可能性を作ったことがアニゴジの大きな功績かなと思います。
アニゴジのゴジラはなんというか、憂いのある表情をしているんですよね。
そんな姿もこの結末になんとなくマッチしているような気がします。

●マーティンとか言う男

最後にちょっと触れたいマーティンとか言う男。
アニゴジ影の全然影ではない功労者。
なんかいつの間にかいた男なのですが、だんだんとその影響力を増していき、最終的に人類側のネームドキャラクター唯一の生き残りとなり主人公が歩みを止めた後も歩み続けたまさに人類の代表。
マーティンがいなかったら詰んでいた場面はいくらでもあり、ぶっちゃけギドラも彼が倒したようなものである。
しかも性格が良い。
気配りが出来るうえになんというかバランスが良い、どちらも立てるように動きつつ出来る限り軋轢を軽減しようとする人格者、ポジティブ。
なんだこいつ。
ぶっちゃけ一番好き。



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