記録に感じる息づかい

メールやSNSを通して日々残している大量の文字。
それらを800年後の[人々が呼び出したとき、人間の温かい息吹まで感じ取れるだろうか。

昨日(2023年4月16日)の日本経済新聞のコラム「春秋」の結びである。
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親鸞聖人の生誕850年を記念する展覧会に足を運んだコラムの筆者が、親鸞自筆とされる、経典の注釈に目が釘付けになったことが記されている。
感じたのは、学究に打ち込む者のただならぬ気迫、そして、時を超えてもあせない墨跡から伝わる息づかい。
その際手にしていた音声ガイドでの説明でも、筆跡は人の内面、生身の姿を映す、との話があったそうだ。

そういえば、何かの展覧会を訪れた際、その人物が書いたとされる手書きの原稿や、やりとりをしていた手紙を見て、実際に書いているときの姿を思い浮かべたことを思い出した。

手書きではなく、こうしてキーボードをたたいて電子媒体に残したものから、息づかいを感じ取るのは、手書きに比べると難しいかもしれない。綴られた言葉から読み取れる可能性はあるとしても。

現代で息づかいまで含めて記録を残すとすれば、音声や映像もセット、ということになるだろうか。

そんなことを気にする前に、名が知られずとも目に留まる記録をひとつでも残せるよう、物事の見方、言葉への落とし方に研鑽が必要だ。



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