はじまりは東大だった
正岡子規が野球に関する歌や句を多く詠んだ、と、日本経済新聞「春秋」が教えてくれたのをきっかけに、子規の歌集や句集を手に取ってみるか、と書店に立ち寄った。
立ち読みしながら、ふと疑問に感じることがあった。
「正岡子規の生きていた頃、野球をやってたのか?」
1867年に生まれ、1902年に若くして世を去った子規。
さて、野球の歴史はどうだったのか?と、ネットで検索してみた。
ヒットしたのは、「公益財団法人 野球殿堂博物館」のサイトである。
米国でのベースボールの始まりは、1845年。今の野球つながる規則が作られたそうで、それを使って試合が行われたのは1846年のことである。
そのベースボールが日本に伝わったのは、それから30年余り経った1872年。「第一大学区第一番中学」のアメリカ人教師ホーレス・ウィルソンが生徒に伝えたそうだ。翌年、「開成学校」と校名が変わり、新校舎と共に立派な運動場が整備され、試合もされることとなった。
「開成学校」・・・。一瞬、「今の開成中・高か?」と思って検索したらさにあらず。今の東京大学につながる学校であった。
この学校が、1896年に横浜の外国人チームに勝利し、全国的に人気が高まったそうだ。
野球が伝来し、人気が高まっていこうとする黎明期と、子規の生涯が重なる。
短歌の世界に新しい風を吹かせようとしていた、といわれる子規は、新たに興じられるようになったこの競技に、境遇の近いものを感じていたのだろうか。
なお、「野球」という訳語は、1894年に使われるようになったという。
そうか。来る2022年は、日本に野球が伝わって150年になる記念の年なのか。