第39話 女の計算ドリル
日曜日。家でやることもなく新聞を読んでいたら、高校生の娘がリビングにやってきた。
「お父さん、私ここで宿題するからテーブルの上のやつどかすで」
ダイニングテーブルに置いていた私の本やら何やらをバサッと雑に端へ避けた。
「部屋でやったらあかんのか?」
「だってもうちょいで推しが出る音楽番組始まるもん。見ながらやりたい」
「そうか…」
家にはテレビはリビングに1つしかない。それがよく見えるダイニングテーブルをわざわざ選んで来たのだ。学校の宿題をするのは感心だが、集中してほしいものだ。…まぁ、一時より口をきいてくれるようになったのは少し嬉しいが。
「じゃあ、お父さんが宿題見てあげよか?」
「え?お父さんが私の宿題見るん?」
びっくりした娘の顔。しまった。会話のきっかけ作りで間違えたか。
しかし娘はすぐに、あどけない笑顔になった。
「珍しいこと言うやん。ありがと」
よかった。合ってた。
「で、何の授業の宿題なんや?」
「えっとね、これは計算ドリル」
そう言って持ってきた問題集の表紙を見せた。幾何学模様とともに、「計算ドリル」と蛍光ピンクで書かれている。
「計算ドリル?…そんなん、小学生がやるやつちゃうんか」
「いや、高校生でも計算ドリルくらいするやろ」
…そういうものなんだろうか。
「そっか。ほな、お父さん理系やったから余裕で解いたるわ」
すると娘は一瞬不思議そうな顔をして、
「?理系は…あんまり関係ないけど、まぁ、うん。やってみぃ」
そう言うとニヤリと笑い、その計算ドリルを開いた。私は娘の向かいに座り、その様子を見る。どうやら、授業でもその計算ドリルを使っているらしく、随所にメモ書きがある。蛍光マーカーで線を引いたり、赤ペンで何か書き込んだり、付箋やメモを貼り付けたりしていて、もらった当初よりも分厚くなっているのが、初見の私にも分かった。
「そしたら宿題がここからやから…」
と、中ほどのページを開くと
「じゃあ、問題読み上げるな」
と言って、読み上げた。数式を読み上げられても分からないぞ、と思ったが、どうやら文章問題らしい。
(1) 男性と2人で食事に行き、合計金額が8460円でした。貴女はいくら払いますか?
「は?」
私は思わず声が出た。
「こんなん、小学生の算数やんか」
「そう?」
「せやで。高校生がこんなん解いてるって…。本当にそんな問題なんか?」
「せやで、ほら」
娘が差し出したページには、確かに今読み上げられた通りの文が印刷されていた。
「はい、お父さん。答えは?」
「8460÷2で、4230円や」
すると、娘はフフッと笑った。
「え?」
「いや、ごめん。普通に2で割ったら4230円やねんけどな、これ、答えは460円やねん」
「460円!?何でや?」
「何でって…」
娘は少し考えると、こう説明した。
「お父さんさ、一旦、今結婚してるとか、娘おるとか置いといて考えてな?」
「お、おぅ…」
「女の人と2人でご飯行った時、ぴったり割り勘ってする?」
「いや、女性とデートやったら、お父さんが全部出すわ」
「うんうん。じゃあさ、その時に最初から全力で全額奢ってもらう気満々の、もう、財布とかも持ってきてないような女ってどう思う?」
「どう…って、んー、ちょっとなぁ。また次もーとはならんかなぁ」
「やんな?じゃあさ、「え、そんなん悪いですよ!あ、私細かいのんあるんで出してもいいですか?」って言ってくれる子ってどう?」
「気ぃ利くなって思うかな」
「そう!ちょっとポイント高いやろ?だから正解は、この合計金額8460円の端数の460円ってこと」
「…はぁ…。なるほど」
不思議と腑に落ちてしまった。
…いや、待て。
「それ、本当に計算ドリルか?」
「せやで?ずっと言うてるやんか」
娘はもう一度、その計算ドリルを立てて表紙を見せた。
ぱさっ…
勢いよく立てたので、表紙に被さるように貼られていたメモが落ちた。
「おっと…」
それを拾う娘。その時、私は初めてその計算ドリルの表紙の全貌を見ることができたのだ。
『女の計算ドリル』
「女の、計算ドリル…?」
「うん。そうやで」
娘はあっけらかんと答えて、そして何かに気づいてこう続けた。
「あ、そっか!お父さんは知らんもんな。ほら、私、女子高通ってるやろ?せやから、共学の子より男と触れ合う機会が少ないんよ。そこで!こうやって男と触れ合う上で必要な計算術を勉強する授業があんねん」
「…へぇ」
「週5時間」
「毎日やん」
「あ、水曜日が2時間連続やから、実質週4かな、うん。座学と実技」
「実技もあるんか…」
「うん。ほな、次の問題いってもいい?」
「えっ?あ、うん。次こそ当てたるからな」
娘はフフンと笑いながら、次の問題を読み上げた。
(2) キープしてる男3人から、「誕生b…
「あ、ちょっと待って!」
私は娘の音読を遮った。
「ん?何?」
「キープ?って何?」
「あぁ。本命じゃない男のこと」
「はぁ、なるほど」
いや、なるほど、じゃないんだけど。
「キープと資格は3つ位ずつ持っとくと潰しが利いて何かと便利、ってお母さんが言うてた」
「は!?」
聞き捨てならない。私は思わず腰を浮かせて、台所の妻を見た。
「?」
不思議そうな顔の妻。
「まぁまぁ!その話はまた後にしよ?ほら、問題の途中やから」
私の服の裾を引っ張って座らせた。娘に服の裾を引っ張られると、つい従ってしまう。これが父性というものなんだろう。…などと、妻から娘に意識を移動させて、計算ドリルの問題に集中することにした。
(2) キープしてる男3人から、「誕生日プレゼントに何がほしい?」と聞かれました。貴女が今欲しい物は5つありますが、1人につき1つずつしか貰えません。3人の経済状況が等しく潤っている時、それぞれに何と答えますか?次のア~オから選びなさい。
ア. バッグ (10万円)
イ. 美顔器 (7万円)
ウ. ワンピース (5万円)
エ. コスメ (3万円)
オ. ケーキ (3000円)
「ふむ…」
私は考えた。5つ欲しいけど3つしか貰えないとなると…。
「お父さんは、何て答える?」
「ここは10万、7万、5万やな」
「えっと、バッグと美顔器とワンピースね。え、じゃあコスメとケーキはどうすんの?」
「んー…、諦めて自分で買うんやな」
「なるほどねー。まぁ、高い物選んだんはよしとしよか」
「合ってるか?」
ヘヘッと笑って、娘は言った。
「正解は、全員から10万のバッグ。これ」
「え!?」
「それはあれか?保存用と観賞用と布教用みたいなやつか?」
「それはただのコレクターやん。違うねん。まずな、女子って、欲しい物諦めるとかないねん」
それは男も同じだ。欲しい物は欲しい。
「この問題のやつもな、全部欲しいねん。せやからな、全員から同じ10万のバッグ買ってもらって、んでそのうち2個を売るねん」
「売る!?」
「そ。ほんで、売ったお金で残りの4つ全部買うやろ?」
「ほぅ」
「そしたら、自腹切らんと全部手に入るんよ」
「おぉ」
「しかも4万くらいお小遣いも入って」
「おぉ!」
「最高やん?」
「最高や!」
娘は得意気にフフンと笑い、
「この"もらい売りの法則"はよぅ使うから覚えといた方がええんやって。お母さんもやったことあるって言ってたし」
「え?」
「ん?」
「お母さんも、やったことあるの、か?」
台所の妻を見た。
「お母さんもうちの高校の卒業生やからね」
「そうね」
フフと笑う妻。
「そうなのか…?」
「お父さん、どうしたん?もしかして、お母さんの出身高校初耳?」
「いや、それは知ってる、けど…」
「あなたからもらったモノは売ってへんよ?」
「本当か?」
「ええ。だって、安物ばっかりだったから」
<END>
2021年8月15日 UP TO YOU! より
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