いつかの空へ ~never ending love~
プロローグ
少女と少年が初めて出会ったのは、今から十年くらい前——二二九五年の、ある夏の日のことだった。偵察機の舞う灰色の空の下、まだ幼かった彼は、その小さな体で日本の首都の帝戸(ていと)の第三地区を目指して、薄汚れた道の上をひた走る。
「はぁ……。はぁ……」
しかし、少年がたどり着いた先は、第三地区ではなく、帝戸の中心地である政司街(通称:グウェルリモント・ヴィエ)だった。国会塔の日陰には、青い髪色に純白のワンピースを着た少女が、少年に背を向けて立っていた。
少年は叫んだ。
「あのー!」
声に気付いたのか、少女は振り向く。
「……はい?」
声をかけられた少女は、何だこいつは? とでも言いたげな表情で答える。
「だ……、第三地区はどこかな?」
聞かれた少女は顎に手をあて、あさっての方向を見ながら考えるポーズをとると、少年に向き直った。
「確か、お父様に見せていただいた地図に拠れば、デパートの屋上にある大きな象が体につけている赤い風船が、」
と一度言葉を切ると、彼女は右手を左側の——今にも崩れ落ちそうな高層ビルのほうへ向けて言った。
「あっちに見えるから、上のほうをよく見てみるといいわよ」
ありがとうと少年が言い、立ち去ろうとした時だった。
「待って!」
少女は白くか細い手で、少年の手を掴む。
振り向いた少年の目に飛び込んできたのは、——自軍が敵軍を撃ち落とすために発射された化学物質を雨を介して浴びたために紺色に染まってしまった髪を気にも留めず——、ただじっと上目遣いに少年を見つめる少女の潤んだ瞳だった。
「……場所、教えてあげたんだから、名前ぐらい教えてくれてもいいんじゃないかしら?」
少年に向かって、彼女がそう言った時だった。
まだ昼間であるにも関わらず、突然辺りが暗くなり始めたのだ。何だろうと空を見上げた少年少女の頭上には、黒い影が入り込んできていた。
それは、当時、空を飛ぶ仕事を夢見ていた少年にとっては、誰に聞かずともわかった。
「あれは敵軍の戦闘機だ!」
その機体から、大量の兵器のようなものが落ちてくる。
(このままでは傍にいる彼女の身に危険が及ぶ。助けなくては)
咄嗟に少年は彼女の手をつかみ、その場から逃げようとするが、彼の脚は震えたまま、動かない。
(どうしよう?! このまま見上げていれば、数秒後には僕と彼女は――)
判断を下せないままでいる少年の手に、誰かの力が加わる。
「こっちに来て!!」
声を聴いたと同時に、強い力で引かれる少年の手。
「どこ行くの?」
引っ張られるがままに走る少年は、少女の背中に向かって聞く。
少女は一瞬だけ振り向いた。
「私の家よ!!」
「……君の家?」
少女に手を強く引かれて着いた先は——、国会塔の中だった。
エレベーターホールまで来て、やっと手を離された少年は、その場で跪く。
「はぁ……。はぁ……」
呼吸を整えると、少年は立ち上がる。
少年は真っ直ぐに少女の瞳を瞳を見つめる。
「僕の名前は……、 酉嶋 情(とりしま・じょう)」
酉嶋少年が名乗ってすぐ、彼女は彼の名前を復唱する。
「……ありがとう。覚えておくわ。私の名前は暁 聡恵。お父さんは総理大臣の暁 守(あかつき・まもる)よ!」
暁は誇らしげに髪をかきあげると、その手で酉嶋少年に握手を求めた。
「こんな時期に知り合うのも、きっと何かの縁ね。——よろしく」
酉嶋は驚きの表情をみせた。
(なるほど。だから家に……。てことは、彼女は大臣の娘?! そしてここは……)
「国会塔?!」
ホール内に、酉嶋の声が響き渡る。聡恵は慌てて彼の口に手をあてる。
「しーっ。貴方のことがバレた時に怒られるのは私なんだから、静かにしてっ」
少女は小声で少年を諭す。
「そっか……。君の父さんは総理大臣なんだね」
酉嶋も小声でしゃべりかける。視線をエレベーターのフロア表示器に移す。
「国の政治を司る重要な場所に、僕みたいな一般人のチビッ子が入っていいのかなぁ?」
エレベーターは上の階で止まったまま、動きそうにない。酉嶋は尚もフロア表示器を見つめる。そんな彼に、ただただ見惚れる聡恵。
エレベーターが動きだしたとき、ふと、酉嶋が彼女に向き直る。
「あ、そうそう。……言うの忘れてたんだけど」
数秒間の逡巡の後、酉嶋少年は躊躇いがちに暁の手に触れる。
「……よろしく、暁さん」
間もなくエレベーターが降下し、開く。
「さぁ、行こうか。お姫様」
さっとエレベーターが閉じないよう片腕で抑えながら、お姫様こと暁聡恵を先に乗せる。
彼女は乗るなり、くるりと酉嶋に向き直ると、頬をわずかに膨らませて言う。
「ここは貴方の家じゃないでしょう?!」
すると、酉嶋は無邪気に笑って、人差し指を立てる。
「しーっ」
「もう! 貴方って人は……」
——その後、酉嶋は総理が不在の間だけ寛ぐことになった。
時を忘れてしばし談笑した後、聡恵とわかれた酉嶋は、自宅がある第三地区を目指して、再び走り出した。