私は何がしたいのか

「何がしたい?」
そう聞かれると、とても困惑する。

天気のいい日曜日にどこかにおでかけする?のレベルの「何がしたい」から、今後の人生をどう生きるか、将来どうなりたいのか、のレベルの「何がしたい」、もっと身近で細いところで言えば、何か食べたい、ゴロゴロしたい、寝たい、足を掻きたい、猫を抱っこしたい……などなど、人の毎日の全ては何かしらの選択の上に成り立っている。

でも私にはこの「何かしたい」という感情がほぼない。

食べたい、寝たい(眠りたい)、排泄したいという本能レベルの欲求もほとんどない。

食事も睡眠もしなくていいならしないで済ませたい。その時間を別のものに費やしたいわけではなく、ただ単に私にとってそこに心地よさや幸せが全く結びついていないので必要を感じないのだ。
トイレに行くのもとても億劫だし不快な感情と結び付いているので、しなくていいならせずに済ませたい。

夢は?と聞かれたら「霞を食べて生きる仙人になりたい」くらいだ。

これはごく普通のいわゆる「フラットな」状態で、「あれがしたい」「これがしたい」というのは特別ガツガツした人間の考えることだと私はずっと思っていた。

けれど、生きていることに実感が全く感じられず、「楽しい」とか「嬉しい」とか感じられないのは、自分が言いたいことを言わずしたい事をしていないからではないのか、と最近思い始めた。

でも、「言いたいことを言ってみよう」「やりたいことをやってみよう」と言われても、自分の言いたいことって?やりたい事って??考えても何も浮かんでこない。

ただ、ああ…空っぽだなぁ、と思う。

私の中は空っぽだ。
何もない。
私がない。

生まれてからずっと母からも姉からもおまえはいらないと言われ続けた。
何度も繰り返し家から遠く離れた知らない場所へ置き去りにされ、それでもどこの場所でも受け入れられるはずもなく数日後家に戻されるんだけど、家には安心感よりも恐怖しかなかった。
ストレスで眠れずに夜中に徘徊したりオネショをしたりするたびに罵倒され折檻された。
母や姉に話しかけられるだけで胃が縮みあがり食べたものをよく戻した。
そしてその度にまた汚くて厄介でいらないものとして家から放り出され、どうせ戻すのだからとご飯はもらえなかった。

これは小学校低学年くらいまで続いた。
その後2人の姉が続いて寮制の学校に進学し家に両親と私だけが残ってからは、両親はもうほとんど家に帰ってこなくなった。
私は小学校のまだ中学年だったけれど、家にはいつもひとりぼっちでご飯が食べられない日も多かった。
家庭科で必要な布も、部活で必要なシューズも買ってはもらえなかった。

当時の記憶はほとんどない。
ただ断片的に覚えているのは、私はいらない人間だという事。
私のために何かする(ご飯を与えるとか必要なものを買ってあげるとか)は無駄でもったいないということ。
私がどんなに価値のない不快でクソみたいな人間かという事。
それを繰り返し繰り返し言われ続けたことと、眠れずに夜明けまでよく眺めていた廊下から見える坂の上の信号機。
それから血だらけで包丁を持った父親の姿。

どれも覚えてる価値ないものばかりなのに、そんなもので私はできている。

そこに私が言いたいことやりたいことを挟む余地を私は見つけることができなかった。

実家から逃げるように上京して私は自由になった。
好きなように生きて好きなように暮らせている!

……はずだったのに、何かいつも違う気がしていた。
虚しくて悲しくて自分がどこにいるのか何をしているのかよく分からない。

片っ端からいろんなことをしてみた。
普通はなかなかできないような珍しい仕事やクリエイティブな仕事も色々した。
習い事も沢山したし、観劇やライブにもたくさん行った。
それでも何一つ埋まらない。
広大な砂漠にコップ一杯の水を注いでるみたいで虚しくてやりきれなさだけがいつもあった。
自分が根っこのない大きな枯れ木のようにいつも感じていた。

何を言いたいのか、何をしたいのかを考えるという事は、自分の気持ちに耳を傾けるという事だ。

自分の気持ちに耳を傾けるという事は、これまでの辛い記憶や悲しみ、悔しさと向き合うという事だ。
理不尽さへの怒りと向き合うという事だ。

これまでも自分なりには向き合ってきた。

でも、足りない。
まだまだ全然足りない。
耐えられないのだ。
自分の怒りと悲しみで押しつぶされてしまって耐えられないのだ。

分かっている。
分かりすぎるほど分かっている。

ありのままに受け入れる事。
そして許す事。

でも
そんな事言えるのは本当の辛さも怒りも憎しみも知らない人間だ。

母や姉を形が無くなるほどぐじゃぐじゃにビシャビシャになるまで力一杯狂ったように頭部を踏み続ける妄想をやめられない時期があった。
早く死んでくれたら…とも思っていた。
でも母が死んでも何も変わらなかった。

怒りを向ける矛先が無くなってしまった、
それだけだと最初は思っていた。
でも結局本人が生きているかどうかはあまり関係なかった。
最後まで彼女は変わらなかった。
対決を試みた事もあった。
それでも彼女は変わらなかった。
彼女は最後まで「1番の被害者は自分」であって彼女にとっての私は「自分へ害をなす加害者」でしかなかった。

あんたのせいで私は不幸になった。
おまえがいるから私がこんな目に合うのだ。
あんたを見ているだけで気分が悪くなる。

ずっと、ずっと、死ぬまで変わらなかった。

そして私も変われなかった。

変われずにいる。

……私はずっと囚われている。

一番したいこと、
それは、水もエサもない糞だらけの鳥かごの中から大空に飛び出したい、という事なのかもしれない。

自分で飛ぶ勇気と、雨風に打たれる強さを今からでも手に入れられるだろうか……。

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