友達ってなんだろう?

以前にも書いたけれど、私には友達がいない。
「友達がいない」と称する多くの人が意味する友達とは「親友」とか「心を許せる信頼できる友人」という意味で「いない」と言っているのだろうが、私にはご飯を食べに行く友達もたまに電話やメールをやりとりする友人も毎年年賀状をやりとりする親しい知人すら、いない。

正真正銘きれいさっぱり私には友達はいない。

なぜだろう?いつからだろう?とたまに漠然と考える。
小さい頃はそれなりに仲のいい子やよく一緒に遊ぶ子がいたような気がするし、学生の時には一緒にお昼ご飯食べる子もいた。学校を卒業してもたまに会ってお酒飲んだり海や温泉に行ったりする子が何人かはいたのだ。

はて?どうしてこうなったのか???

私は30代半ばでうつ病になった。
その時のことについて詳しくは後で書くけれど、今思えばあれが大きなターニングポイントだった気がする。

種類を変えても量を増やしても処方される薬が全く効かず症状は悪化する一方でほぼ寝たきりの廃人になったところで通院をやめたので、あれが本当にうつ病だったのかどうなのかいまだに疑問は残るものの、でも今思えば私が人として変わったのはやはりあの頃を境にしてのような気がする。

当時私にはうつ病と知っても変わらずに誘ってくれたり一晩中詮無い話に根気強く付き合ってくれる友達が少ないけれどいるにはいた。
けれど中には弱っている私に今だ!とばかりにそれまで言えなかったのであろう私への嫌味や恨み言、悪口などを面と向かって投げつける人もいたのである。
確かにその頃は心身ともにまともな状態ではなく人を思いやる余裕など皆無だったので、私もかなり失礼な態度だったのかもしれない。だが、だとしても、そういう事をそんな時に言う人は結局私が嫌いだったのだと思う。何か仕返しをする機会を狙っていたのかもしれない。
逆に悪気はなかったのかもしれない。
まぁ今となっては真意は分からない。
けれど、私にとってはそれらが今も残る深く強い疵となってしまったのだ。

ある人は「あんたも悪い」と言った。

そしてまたある人は「あんたはなんでもすぐ真に受ける」と言った。

「あんたも悪い」というのは私が子供の頃いじめにあっていて、今でも田舎に帰ると同級生達が私を無視したり陰でヒソヒソ笑ったりすることについて言われた言葉だ。
大人になってから趣味のサークルでうけた嫌がらせやいじめに対してもやはり別の人から同じ事を言われた。

そして「真に受ける」というのは私がこれまで仲がいいと思ってた人、好意を持ってくれてると思ってた人のことを持ち出して「本気にしてるのあんただけだよ?」「分かんないの?」「そんなの本気なわけないじゃん」と鼻で笑われ言われた言葉である。

改めてこう書くとなんだか全然大した事ないような気がするけれど、私には応えた。本当に心底応えたのだ。

私は元々人付き合いが得意ではなく友達づきあいにも消極的だった。
愛着障害があるせいか親しくなってきて相手との距離が縮まってくると無意識に相手を遠ざけるようにふるまうところがあった。
馴れ馴れしくされるのがどうにも苦手で一定の距離感が無いと安心できない。
いじめにあってからはこれに人への不信感が加わり、私は一層人づきあいが苦手になっていた。

そこへ追い討ちをかけるようにこの言葉である。
当時ひどいうつ状態だったこともあり、「私がダメなのだ」「そもそも私の存在が迷惑なんだ」「私が人に好かれるなんてありえない」「相手も私を友達と思っているなんて思ってはいけないのだ」これを強く戒めとして思い知らねばならない。そう思ったのである。

それからは誰かに誘われても「あんたはなんでも真に受ける」という言葉が頭から離れず「本気にしてはいけない」と思ってしまう。

いっそ恋愛なら判断は楽である。
自分が相手をどのくらい好きかで行動が決められるから。
しかし友達づきあいや職場の同僚(特に同性)との付き合いは好意なのか社交辞令なのか判断がつきにくい。
表向きのお愛想を真に受けたらまたいい笑い者になる……そう思うと人が距離をつめてくることが恐怖でしかなくなった。

そうして私は誰とも親しくつきあうことをやめたのだ。

私には夫と猫がいる。
不満はない。
いまさら友達など……とも思う。

けれど、
職場で感じる息苦しさは結局のところこの呪縛のせいなのだな、とも思う。
誰も信じられず人の目に怯え毎日緊張ばかりしていて気が休まらない。
意地悪な人がいるわけでも無視されてるわけでもないのに私はそこにいるだけで消耗してしまう。

不毛だなと思う。

けれども私は自分で着た茨の鎧をいまだに脱げない。

これは呪いだ。

あれは呪いの言葉だったのだ。 と思う。

私は普通に生きたいと思うのだけれど、普通に振る舞おうとすればするほど不自然になっていく。
「振舞ってる」時点でもうそれは自然じゃないからだ。
それは分かっている。
でも他に仕様が分からない。

よく物の本には「自分を許せ」「自分を愛しなさい」と書いてある。
それができたら苦労はしない。

自分を愛するなど、なんて傲慢で恥知らずなんだろう。
またそう言って笑うのでしょう、あなたは。
そう思ってしまうのだ。

結局こんな年になっても人の言葉に振り回されている。

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