想像していなかった未来、というお題
このお題について、ケチをつける訳ではないが…引っ掛かってしまった。
皆さんは未来を、自分の将来を想像し始めたのは、いつなんだろう。たぶん、「なにになりたいのー?」とかご両親や親戚に聞かれた時だろうか。
もしくはもっと堅実に、「受験」の時だろうか…。
私自身、こういう生活をしたいな〜は、あった。
しかし、壮大過ぎた。
ムツゴロウさんみたいになりたい、だったから周囲に伝えた際は「やめなさい」だった。
なんなら、祖父のように農作物を作りたい、と、言ってみたが、「やめなさい」だった。
幼少期から、周りの反応で、自分がなにかおかしいのは薄々気付いていたから、反応が良いものを選択する癖が付いたが…その処世術が、自分を失くす未来は全く想像していなかった。
趣味趣向は、変わらないものだ。
なんて言うくせに、「〇〇歳なのだから〜しなさい」とか「そろそろちゃんと考えなさい」とかを私のためを思って言っている、その全てがまさか!言う人当人のためだなんて!責任取らない無責任な発言だなんて!
いつ気付くものなの?反抗期?
私反抗できなかったから知らないままだった。
その年頃にだって、好きな芸能人は出来なかった。
異性を好きになる、も、同性を好きになるも、なかった。
なかったけど、やってみた。
真似して、そうかも、と思ってみた。
タイプとかどんな人が好きとか未知過ぎた。
付き合ってみたら?告白してみたら?
やってみた。
でも、嫌だな、が出てしまう。
相手に合わせてみる、も、しんどいし、自分が楽だと思えるならと思う人でも、その先に対して「嫌」があって。
結局、自分で自分を止めた。
結構命に関わるストップで自分を止めた。
17歳で直感で感じた「結婚も、子供を産むとか想像出来ない」はいつしか「死ぬか殺すか」という極論の想像しか出来なくて、話題になるとなんとなく逸らしたりした。人に言えるはずもなく。
逆を言えば、私はずっと私だった。
だから私らしくないことには、身体が拒否反応を示して、命を絶やそうとまでして、止めた。
もう少しインチキ出来んのか?
と某タレントのお父様のようなツッコミを自分にするハメになる。
命を絶やしてまで止めたら先が無いだろう?そうまでして止めないと、止まらなかったのもまた事実。
そんなふうに、人生の30年以上を費やしながら、私らしくない行動もモノは試しとやってみて、やっぱやーめた、の私の世界は、ムツゴロウ王国とまではいかないが、手の届く範囲、生物と植物があり、書物や絵画、知識欲と好奇心がある。
想像したり、こうかも、と思い描くのは、絶望したり、期待値が高まるだけ失望感も味わう。
うまくいかないこと前提ならショックも小さいのか、と言えるほどそうでもない。
舵は自分が握ること。計画をしても応急処置の方法も学んでおく事。
雨や嵐は錨を下ろして留まること。無理して道を探さず、テントを張り火を起こし休む事。
自分が生きる世界は文明とテクノロジーに溢れているらしい、と私世代は色々な媒体から思っただろうけど、どこまでいっても、なんか、想像とちがったな。
他人の想像世界を、この世界の先と、勘違いしたらいけないんだろうな。