
読書記録|手づくりのアジール(青木真兵 著)⑯
本章を読んで、以下の文章が印象的だった。
磯野 私が目指している学問のスタンスは、「街のおいしい洋食屋さん」なんです。[…] 入学金を何十万も払ったり、キャンパスに通ったりしなくても、「今日はちょっとおいしいランチ食べに行きたいな」くらいの気軽な気持ちで参加できる場が欲しかったのです。
そして、自身が書いたZINEの文章を思い出した。
だからこそ研究も、町医者がいたほうがいいと思う。[…] 町医者みたいな、町研究者みたいなものが、町の中にいる。[…] 町でもっと近い場所で自分たちの身体を整えるために研究するみたいな感覚で、やれるような場所があるとすごく素敵だなと思う。
さらに、最近読んだ本の文章も思い出した。
デンマークの「かかりつけ医」のように、付き合いの長い「読書のかかりつけ医」がいたらどうだろうかと想像してみました。有名大学による推薦図書やベストセラーではなく、自分たちの興味や好みに合わせて本を処方してくれる「読書のかかりつけ医」がいたら?「薬局スタイルの本屋」というキーワードから考えたアイデアは、デンマークの「かかりつけ医制度」をヒントに私の中で具体化していき、お客さんの読書チャートを管理して「オーダーメイドで本を処方する本屋」を作る、という結論に至りました。
「生活の中で研究をする」とは、どういうことなのだろうか?
多分、人と話をして「あ、こんな考え方があるんだ」と思うとか、本を読んで「あ、こんな世界があるんだ」と思うとか、そういう些細なことなのだと思う。
そして、町医者としての研究者とは、「今日は気分を変えたいから立ち寄ってみるか」という軽い気持ちで行った場所にいて、組みなおしを促す存在なのではないか。
町医者としての研究者の仕事として、対話という実践があるかもしれないが、本というモノを贈るという実践も大切なのかもしれない。本をじっくりと何度も読むことを通して、自分自身の記憶を蒸しかえすとともに、物語を新しく編み直す。
「読書のかかりつけ医」や「私的な書店」の実践を知って、そう思った。
そういえば、なぜ町医者としての研究者が大切なのか?という問いを考えるとき、思い浮かぶのも、青木さんの言葉だった。
ぼくが好き勝手に生きている根本には、僕一人くらい好き勝手に生きなければ社会の同質性がますます高まり、戦争に近づいていしまうと信じているからです。社会の同質性が高まると、必ずそこに含まれない人々が表面化してきます。そしていつか彼らは「敵」とみなされます。
同質性が高まると息苦しくなる。
目の前にいる人を「仲間か」「敵か」という二つのカテゴリに分類し、その間を見えなくしてしまう。それは、ひどく不健康だと思う。
それを防ぐ、小さな闘いとして、町医者としての研究者を考えることは大切だし、実践することは意味があると思う。
「ルチャ・リブロを読み直す」第8回読書会
課題図書:青木真兵(2021)『手づくりのアジールー「土着の知」が生まれるところ』晶文社
「対話5 生活と研究 磯野真穂×青木真兵」(P179-204)
2024年1月25日(土)9:00~11:00
会場:homeport(北20条)or オンライン
どなたでも参加可能です。参加希望の方は下記までご連絡ください。
kohan.seisakushitsu[a]gmail.com
※[a]を@に変更してください