見出し画像

soundtracks|2. コミュニケーターのアイデンティティ

私が執筆したZINEの読者と対談するツアー "soundtracks"。第2回目は、大澤康太郎さんと「コミュケーターのアイデンティティ」というテーマで対話した。

対話の中に出てきた「首尾よくうまくやらないファシリテーター」というフレーズが印象に残っている。決められた方法をマニュアル通りにやるというよりも、方法も含めてその場で作り上げる、そんなファシリテーター(コミュニケーター)像のことで、そうありたいという話が出ていたと思う。私もそれに賛成だ。

そう話す中で「首尾よくうまくやらない研究」というフレーズが浮かんだ。

整理すれば、こうなるだろう。
片方には、「首尾よくうまくやる研究」がある。論文を書く、学会発表をするといった目標(ゴール)を定め、それを達成する最短距離をプランニングする。プランに沿って進める中で、行為を調整しながら、目標(ゴール)を達成する。このような研究スタイルは「計画的=合理的研究スタイル」とよぶことができる。

もう片方には、「首尾よくうまくやらない研究」がある。あらかじめ、研究プランを立てていたとしても、体が動き始めたら、そのプランから外れ、その場の状況の変化に合わせて即興的に行為し、思いがけないところにたどり着いてしまう。結果、何の成果を生み出さないこともあるし、他者から研究ではないと思われることもある。このような研究スタイルは「即興的=野性的研究スタイル」とよぶことができる。

どちらかに偏ればよいということではない。
計画的=合理的研究スタイルと即興的=野性的研究スタイルという、二つの原理の間を、行ったり来たりしながら、研究をするのがいい。

どちらかに偏るということは、身体を壊すことにつながるように思う。
現在の社会状況・研究環境だと、計画的=合理的研究スタイルが求められることが多く、そちらに偏りがちで、その結果、身体を壊す場合があるのではないだろうか。
とりわけ、即興的=野性的研究スタイルの研究思想を重視する人々が、研究的実践としては計画的=合理的研究スタイルを求められてしまう状況が起こりがちで、これはとても不幸なことだと思う。

そう考えてみると、これは研究だけではなく、広く生き方にも当てはまる気がする。私たちは、計画的=合理的な生き方を求められることが多い。だから、意識的に即興的=野性的生き方を実践していくことが大切なのではないか。体を壊さず、生きていくためには、二つの原理の行ったり来たりが大切だ。今回の対話の中で、そんなことを思った。

※「二つの原理を行ったり来たりする」というアイデアは『武器としての土着思考(青木真兵 著)』に着想を得た。


前回同様、"soundtracks"があったからこそ、読んでみたくなった本があるので、ここに残してみたい。

①偶然性・アイロニー・連帯(リチャード・ローティ 著)
大学院の頃に買って、積みっぱなしにしていた本。対話、声、コミュニケーション、偶然性といったキーワードが出ていたので、読み直したいなぁと思った。朱喜哲さんの100分で名著を読んで、改めて読みたくなったという理由もある。

②悪口論(小峰ひずみ 著)
homeport 山崎さんとの会話の中で、話題になった本。「『平成転向論 SEALDs 鷲田清一 谷川雁』著者が、哲学対話をきっかけに考えた「悪口」という戦術。」という紹介が印象的。コミュニケーションとは?コミュニケーションの場を開くとは?という問いを持ちながら読んでみたい。


本文章で言及した、対バン(対談)ツアー "soundtracks"の詳細は、以下をご覧ください。

いいなと思ったら応援しよう!