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継子いじめ物語、姉娘と妹娘の型いろいろ

民話というのは「語り」であり、「書き言葉」ではなく、その土地の言葉で語られてこそのものだと思います。
地方の過疎化と高齢化とで、「民話」は衰退の一途であろうと。絶やしてはいけないと民話語りを残すべく語り部育成などに力を入れる地域や団体もあるようです。
そのような流れの中で、私は先日『妖怪民話…聞き歩き』(藤井 和子 著)を借りて読みました。
そこで、以前どこかでタイトルと「継子いじめ物語」という類型名だけ見聞きしていた「こめんぶくあわんぶく」(本の中では「粟福、米福物語」)の詳細な内容を民話語りが採集され文章化・書籍化された形で読むこととなり。
「え、こんな話だったのか」と、少なからず驚いたもので…記録しておこうかということに。

「継子いじめ物語」は、昔から各地に詳細なバリエーションは色々あれど、大筋として「妻を失った男が後妻を迎える。先妻との間に長女がおり、後妻との間に次女が生まれる。後妻は先妻の娘の長女が憎くなり、難題を押し付けて苛める」という型。西洋でいうなら「シンデレラ」も、先妻の子・後妻の子で姉妹の順番が入れ替わりはしますが、継子いじめ物語の一類型と言えるのだろうと思います。継子いじめ物語の型は中国や韓国にもあるそうですが、姉娘が助かり幸せになるという話も採話されるのに対し、日本では姉娘が不幸にも死んでしまう話が多いというのが私の印象です。

哀切な継子いじめ物語の中でも、とりわけ私の印象に残っているのは、江戸時代の北陸に生きた奇才・大野弁吉ゆかりの地に建つ、からくり記念館(石川県金沢市)を二昔ほど前に訪ねた折、覗きからくりで見た「お銀こ金」の物語。からくり記念館展示図録によれば、「金沢市内の庶民のあいだに古くから伝わる」昔話であり、泉鏡花の小説『照葉狂言』のなかでも紹介されたとのことです(泉鏡花は金沢に生まれた文豪)。
覗きからくりというと疑似3Dのような感じで風景等を見せるものもあるようですが、こちらスタイルとしては場面転換と語りが付くところは紙芝居に近い印象だなと私は感じました。
先妻の娘がお銀で、後妻の娘がこ金。この物語と他の多くの継子いじめ物語との違いは、妹娘であるこ金が母違いの姉・お銀を慕い、姉が母に難題を押し付けられ命の危険に遭うたびに機転を利かせて姉を救うところではないかと。しかし、たびたび姉の危機を救ってきた妹・こ金も、犀川(金沢市内を流れる川)の河原に掘った墓穴もしくは古井戸に落とされた姉を見付けることは出来たものの、救い出すことが叶わぬままに水嵩は増していき、姉は目の前で水底に没してしまう。これを見たこ金は水中に飛び込み、姉妹は共に死んでしまう。継母は深く反省し、巡礼の旅に出る――
というのが、昔話の記録を基に、からくり用に新たに創作された「お銀こ金」、とのこと。
こ金が水に沈んでいく姉・お銀を助けられずに姉の名を呼び続けるばかりのもどかしい場面は最も良く知られ、別に手鞠唄としても歌われていた、ということです。

一方、「米んぶく粟んぶく」。
『妖怪民話…聞き歩き』では、新潟県の民話として、十日町市の語り部に取材した内容です。
後妻の娘である妹・米福は、知ってか知らずか姉・粟福を助ける気配は一切なく、山へたき木を取りに行ったときも自分はナタを持たされたからさっさと終わらせて「先行くぞ」と帰ってしまう。姉は継母からしゃもじを持たされた為、切れるはずもなく泣く。
以降も不条理な道具を持たされて命令されることが続くが、通りがけた者に救われた姉。しかし・・・
継母は湯の沸き立つ大釜に萩の木で蓋をし、姉娘に言う。
「(蓋の上を)向こうへ渡ってみろ」
姉娘は嫌がったが継母が許さず、泣きながら渡り、釜に落ちてしまった。
商いに出ていた父親が戻ると、屋根の上のトンビが鳴いていた。
 ♪ なたで木は切れるが シャッペ(しゃもじ)じゃ木は切られまい
 杉橋渡れども 萩橋ア渡れまい
家に姉娘・粟福は居らず、父親は後妻に訊くが、その時、釜の縁に粟福の着物が見え、蓋を取れば姉娘は水の中に沈んでいた。
父親は男泣きに哭き、後妻めがけナタを力一杯投げつければ、後妻はイタチに姿を変えて逃げて行った、と。
石川と新潟。富山を挟んで同じく日本海に面した地ながら、だいぶ様相の異なった話でした。民話である以上、回収されてない点や未解決事項が色々あるのだし。継母は妖怪変化だったのか、なら娘の米福は、とかも・・・

さらに、『妖怪民話…聞き歩き』巻末に付された韓国の継子いじめ譚の一つ、「コンジとパッチ」。
やはりここでも、継母は妹娘パッチには課題をすんなりこなせる道具を与えるのに対し、継娘である姉娘コンジにはそうしない為、難題を課された姉は嘆く。姉娘を助けるのはスッポンであったり、黒い牛であったり、雀たちだった。
継母は、「今日中にトウキビ畑のトウキビを全部刈るんだよ」と、姉娘に刃の折れた鎌を渡した。トウモロコシ畑は森のように繁り、姉娘は途方に暮れて「死んだほうが楽になる」と思う。
妹娘パッチが、何もせず座ったままの姉をなじる。
「お母さんに言いつけるよ」と。
すると天から五色の雲が湧き、天女達が音楽を奏でながら、一本の綱を垂らした。
「コンジよ、これに掴まって天に昇りなさい」
コンジが登るのを見ると、パッチは叫ぶ。
「神様、わたしにも綱を降ろしてください。お願いします」
綱が降りてきたのでパッチは飛びついたが、腐った綱だったので途中で切れて、妹娘は地面にたたきつけられ、トウキビに腹を刺された。
それでトウキビ畑は血で赤く染まり、トウキビの茎や葉は赤い斑点が出来た、という。
以上は、採取地不明、「朝鮮童話大集」からの引用文を、文意を損ねない範囲で多少短くしたり語順を変えたりして記載しています。
こちらの話になると、妹娘も継母の右腕というか、姉娘にとってもはや敵。
神様は姉娘を哀れんで「天に昇れ」と綱を垂れてくれる。しかし妹娘には腐った綱を与え、妹娘は堕ちて死ぬ。実の娘の骸と血まみれのトウモロコシ畑、そしてこときれた娘が握る腐った綱を見て、継母が何と思ったか――そこの記載はないのだけども、これは聞き手に任されているのかもと。

余談ながら、『今昔物語』にもというか、
後妻が「夫はもういい歳だし、先妻の息子が居なくなれば私の娘が全財産を引き継げるんだわ」と継子を殺害しようとするも、地中に埋められた継子は発見・救出される。事の次第を知った父親は怒り、後妻と継娘を追い出してしまった…
という話がありましたっけ(昔読んだ記憶だけを基に書いてます:爆)。その結びが、確かこんな感じ・・・
「思うに、この母親は愚かである。継子を我が子同様に大事にしたならば、継母であろうと孝行したろうに」
継母が先妻の息子を快く思わなかったにしろ、それを表に出さずに母子としてきちんと接することが出来ていたのならば、自分も娘を裕福な家を追い出されて惨めな暮らしに堕ちることもなかったろうに、、というのは本当かと。

・・・と、いうように。
姉娘と妹娘の関係がどんどん悪化する順序で並べた形ですが。
一口に「継子いじめ譚」と言っても、中身は様々なのだなあと。どれも継母がそれこそ鬼のように怖く心が醜いというのには変わらない気がするけど。古今東西、母そして女の愛の強さ美しさを語る伝説や逸話がある一方で、怖い女・恐母像というのも数多く語られ残されてきたのでは、と。
当世においても、継子いじめは根強く陰湿に残り、たびたびニュースになっています。それだけではなく、他でもない自分自身の実の子でさえも虐待する親が居るのが現実です。「利己的な遺伝子」論でいえば、自分の遺伝子を受け継いだ我が子は守りたい存在のはずですが……自らは子孫を生めない働きバチや働きアリが女王や卵・幼虫を世話し守ろうとするのも、共通の遺伝子をもつ個体を守ることで自分の遺伝子も守り伝えられるから、と説明できる。子育てをする一部のクモは、最後には卵から孵化したばかりの我が子たちに我が身を餌として与えるのだといいます。そんな自然界の壮絶さを思うに、人間社会では生物界の必然が通用しなくなっているのかもしれません。

昔話や民話には他にも「異類婚姻譚」「報恩譚」など、括りというかラベル用語は色々あります。でも、同じ枠の中にも詳細を追っていくと「あ、ここは違う」というのが見えてくる場合も多い。
ラベルを見て中身が完全に分かったつもりにならないようにしなければな…と改めて思い直しました。。

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