第15回創元SF短編賞選評(2024年6月)

選評 小浜徹也

 創元SF短編賞が《年刊日本SF傑作選》内の企画として始まったため、編者だった大森望(のぞみ)さんと日下(くさか)三蔵さんのお二人に、傑作選終了までの十年間、レギュラー選考委員を務めていただいた。第十一回からの体制変更に伴い、ぼくが臨時に編集部代表として選考委員に加わったが、決して長くやりすぎるまい、お二人の半分ぐらいの任期、五年がいいところだろうと考えていた。ぼくが選考委員を務めるのは今回までとし、編集部の一員にもどります。ひとまず、五年間ありがとうございました。次回から編集部代表の枠はなくし、作家のかた三名に選考していただきます。
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 今回の最終候補作五作品は、物語としてはいずれも例年より高水準だった。とはいえ、語り口や話づくりがしっかりしていることと、それを支えるSF設定の確からしさとのあいだに齟齬を感じるものも少なくなかった。
 五作中、四作の作者が今回はじめて最終に残った方々だ。選考委員のあいだで評価の分かれた作品も複数あったが、ここでは従来どおり、ぼくなりの評価の低かった順に述べる。
 難波行「最後のラクダ」。最初の一行が、「アラビア語にはラクダを表す名詞が千二百以上、存在するといわれる」で、つかみとしては最高だ。哲学問答的な展開を期待させる。
 その昔、シリアの町に、ラクダを深く愛し、ラクダに「唯一無二の名付け」をすることを無上の喜びとする男がいた。この男がある日、謎の老人から「ラクダの全てに名付けを終えるまで」続けないと「一族に不幸が訪れる」呪いをかけられる。そして男が初代となり、つづく一族は男女問わず必ず第二子が名付け役を継承しなければならない。
 二代目も「ラクダの特性を表す名付け」をつづけたが、三代目になって、ラクダに似た形のものであれば、〈夢を食べるラクダ〉といった魔法さながらの力を発揮させるよう名付けができることを知る。このあたりから名付けの試みがエスカレートしていき、それに伴い人々の生活ががらりと変わる。中盤以降、百四十八代目の女性が主人公となる頃には、テクノロジカルな能力を持つラクダが世界文明を書き換えてしまっていた。だが彼女は、病にかかり二人目の子供を産めなくなってしまう。
 いちばん気になったのは、さまざまな名付けにまつわるロジックの変化がつかめないことだった。それへの関心で読者を引っ張っていくべきではなかったか。
 この作品、もともとは四十枚ほどの長さで同人誌に同題で発表されたもの。短編賞への応募は問題ないのだが、冒頭五分の一ほどがほぼ原形版のまま。作者は筆が立つ人で、改稿段階で加えられた回顧的なエピソードもユーモラスだが、やはりアイデアなりのサイズ感というものはある。応募規定の上限百枚まで書き延ばしたのは無理があったと思う。
 金森ムル「夜叉ヶ池玻璃のしがらみ」。描写力は随一だった。気候変動で陸地のほとんどが海に没した時代に、舞台となる日本の海中都市では「水劇」が演じられていた。この着想はとても新鮮だ。この国立水劇場には大型のステージ全部を占める、強化アクリルパネルの巨大水槽が常設されていて、歌舞伎と同じく太夫(たゆう)を傍らに役者が自在に水中を舞う。だがこの水劇の様子がほとんど描写されないのがもったいない。また水槽内では和服で演技しているようだが、踊りにくくないのだろうか。なんらかの説明が必要に思う。
 語り手は水槽メーカーの新任担当で、ひとまわり年下の、高名な八代目長尾蓮蔵に気に入られる。水劇役者は子役時代から両脇腹に人工鰓を施術されており、二人の距離が近づくところで、語り手が鰓を目の当たりにするシーンはとても印象的だが、しかしこの人工鰓は水劇のためにわざわざ用意されたかのよう。世界が水没しているなら、鰓はなによりも人間の海中作業用に開発されたはずだと思うが、そうした背景説明はない。つまり海中都市ならではの暮らしは描写されず、未来の自然史博物館を案内したり、同性婚が認められた社会であったりするほかは、現実のこの日本であってもよい光景が広がっている。
 二人の関係はよく描かれているが、それを取り巻く世界の外部には空白が広がっているようでもある。二次創作の書き手に見受けられる傾向と感じるのだが、いかがだろう。
 神無月佳「わだつみの揺り籠」も海中都市もの。全球凍結した地表を逃れ、人類は海中につくったいくつもの拠点へ移住し、千年以上が経った。語り手はその都市に暮らし、海底資源の採掘に従事する潜行士だ。
 都市は生きている巨大蟹の甲羅に載っている。蟹が移動するので資源採取に便利だ、というのはよいとして、深海で移動する巨大蟹をどうやって見つけて、六層に及ぶ建造物をつくれたのか。そして蟹が三百年しか生きないとすると、都市の引越しはどうするのだろう。絵的な着想が先んじたのなら、それは尊重してほしいけれど、納得できる説明は欲しい。また深度四千三百メートルだと、巨大蟹も、その甲殻でつくられた大気圧潜水服といえども水圧で動けないのでは。海中照明弾が放物線を描いて打ち上げられるだろうか。正確な深度は不要だったのでは。また随所に実在の海洋科学用語を使っているが、架空の設定と溶け合っていないように思う。さらにこの世界では、二種類の深度で人間が棲み分けている。ウェルズ「タイム・マシン」のエロイとモーロックさながら、科学的に進んだ「浅人」と彼らに資源を提供する語り手たち「深人」がいるという設定からも、リアリティの範囲を絞って、寓話に寄せるほうが物語には適正だったのではないだろうか。
 中盤で、語り手の可愛がっていた幼馴染の後輩が「憑き潮」に巻き込まれ、致死性の病を発症したところから、巨大蟹は人間が変貌したものだったという秘密が明かされる。実に残酷で感動的だが、だとすると最初の巨大蟹はどうやって発生したのか。疑問ばかりで申し訳ないが、匙加減しだいで一段階も二段階も評価が違ったと思う。
 三浦俳「からくり千年道中」も語り口は端正だ。舞台は江戸時代の吉原遊郭。とある妓楼へ、人間そっくりのからくり仕掛けの遊女が売られてきた。製作者は石川雅望(まさもち)『飛騨匠(ひだのたくみ)物語』の架空の登場人物、猪名部(いなべ)であり、物語の時代よりさらに千年前につくられたという。玉緒と名づけられた彼女は「からくり女郎」としてすぐに人気者になった。語り手はこの妓楼に雇われた、からくりマニアの使用人だ。
 玉緒には人の振る舞いを学習する能力があり、さらに人の言葉を解するかのようでも、なんらかの意思を持っているかのようでもある。千年経ったら人形も魂を宿すのかもしれない、と語り手は思いながらも、しかしあくまでも人形として見ようとする。一方、同じ妓楼の花魁は玉緒を人間同然に扱い、遊女見習いの子供、みどりも分け隔てなく接する。
 吉原の暗黒面も淡々と語っているが、物語は不思議と風通しがいい。だが後半、古典落語の「明烏(あけがらす)」を取り入れたあたりから調子が変わってしまった感がある。さらに折り鶴が玉緒を解放する象徴のように導入されているが、なぜ折り鶴なのか。中盤でみどりが折ってみせるのだが、結末のために用意された行為のようでもある。ラストシーン自体はとても綺麗だが、ならばより周到な意味づけが必要ではなかったか。SFの背景をなす『飛騨匠物語』も、もっと活用する手立てがなかっただろうか。
 稲田一声「廃番の涙」は近未来SF。アロマテラピーを超えて、人工的な感情を自らファッション的に身にまとう「オーデモシオン」が大流行する時代に、企業で商品開発に携わる「感情調合師」たちの物語である。
 ほとんどの人間が脳の一部を機械化しており、うなじに埋め込んだレセプタにオーデモシオンを垂らすと、一定時間、あらたな感情を得ることができる。
 この社内に、各種ヒット商品を連発し、天才と目される調合師がいた。その待ちに待った新製品が発表されるという。新人調合師である語り手は、ふとしたことでこの天才の知遇を得て、内輪の新作お披露目会に誘われた。そこで披露された新商品は、いまやほとんどいなくなった、脳をいじっていない「素の人間」だけが持っていたマイナス感情を再現したものだった。新商品は「ほろびたもの」と名付けられ大ヒットするが、天才調合師はどうやって、そしてなぜこんなものをつくったのか。
 感情のコントロールを人工物に頼るというアイデアが新鮮であり現代的である。人工感情の体験も、同業者の目を通すことで分析的に語れている。過去のいくつものオーデモシオンの商品名も気が利いていた。
 選考委員三名ともに安定した評価だった「廃番の涙」を受賞作と決定した。作者の稲田さんは三度目の最終候補。回を重ねるごとに読み応えが増した。昨年の候補作とくらべても進境著しく、SFらしさも候補作中でひときわ抜きん出ていた。過去作でも着想のユニークさは評価されており、今後もこの持ち味を大切にして闊達な新作を書いていただけるものと期待しています。

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