小浜徹也(こはまてつや)

1962年、徳島県生まれ。SF編集者、SFファンダム研究家。これまでに書いた原稿などなどをまとめていくことにしました。訃報、追悼文がかなり多いです。 配信プラットフォーム〈シラス〉で有料配信をやっています。ご覧ください。 https://shirasu.io/c/sf

小浜徹也(こはまてつや)

1962年、徳島県生まれ。SF編集者、SFファンダム研究家。これまでに書いた原稿などなどをまとめていくことにしました。訃報、追悼文がかなり多いです。 配信プラットフォーム〈シラス〉で有料配信をやっています。ご覧ください。 https://shirasu.io/c/sf

最近の記事

書評『ネオ・ヌルの時代』全3冊 筒井康隆編(日本SF年鑑1986年版、1986年8月)

書評『ネオ・ヌルの時代』全3冊 筒井康隆編(中公文庫、1985年)  人気絶頂だった筒井康隆が主宰し、1974年にスタートして77年に全7号を出し終えて解散した、伝説的な高水準の投稿型創作同人誌 〈ネオNULL〉が3分冊で中公文庫に収められた。雑文連絡文を除いて、掲載された創作すべてと、投稿作への筒井のコメントが収録されている。  この雑誌を、現在から遡って “新人作家のルーツ”と語るのは容易いことだ。しかし同人誌は、けして後世から与えられた評価でのみ語られるものではない。

    • 第15回創元SF短編賞選評(2024年6月)

      選評 小浜徹也  創元SF短編賞が《年刊日本SF傑作選》内の企画として始まったため、編者だった大森望(のぞみ)さんと日下(くさか)三蔵さんのお二人に、傑作選終了までの十年間、レギュラー選考委員を務めていただいた。第十一回からの体制変更に伴い、ぼくが臨時に編集部代表として選考委員に加わったが、決して長くやりすぎるまい、お二人の半分ぐらいの任期、五年がいいところだろうと考えていた。ぼくが選考委員を務めるのは今回までとし、編集部の一員にもどります。ひとまず、五年間ありがとうござい

      • 第14回創元SF短編賞選評(2023年6月)

        選評  小浜 徹也(東京創元社編集部)  毎回、創元SF短編賞に再挑戦してくださっている応募者は数多く、また近年はウェブ上に複数のSFコンテストがあり、ウェブマガジンに発表される短編や掌編も増える一方だ。紙の同人誌活動も、1980年代にSF創作誌が興隆していた頃がもどってきたかのようで頼もしくもあり、そうした場所で見知ったお名前の方々にご応募いただけるのは心強いかぎり。もっともそれは、過去の発表作を参照して、作家性について参考にさせていただく機会が増えたということでもあり、

        • 〈シラス〉のチャンネル、菅浩江のネコ乱入「特別企画 SFファンダムとは」(2022年1月)の配信にあたって、小浜が概要欄に寄せた案内文

          「菅浩江のネコ乱入」は、配信プラットフォーム〈シラス〉に2021年10月に開設されたSF創作のための番組。いまも元気に配信をつづけています。 以下の文章は、その番組のなかで間をおきながら3回zoomをつなぎ、菅さん、遠野よあけさんと小浜とで話した「SFファンダムとは何か」の初回配信(https://shirasu.io/t/HiroeSuga/c/SugaNeko/p/20220107182810)のため、概要欄に小浜が書いた案内文です。  *  東浩紀さんは『ゲンロン戦記』

          第13回創元SF短編賞選評(2022年6月)

          選評  小浜 徹也(東京創元社編集部)  最初にお断りしておきたい。昨年度の最終候補者全員が今年も応募してくださったが、残念ながらどの作品も最終候補とならなかった。あえて前回評価された持ち味や組み立て方を変えて挑んだのだと思うが、それらが自分のものとなるまでに至っていなかった。最終候補に残り受賞すれば、編集者も読者も受賞作に劣らない水準の小説をその後も期待する。もちろんこれはワンパターンの作品を推奨しているわけではないのでご留意を。  その最終候補は今回五作品。  河野咲子

          第13回創元SF短編賞選評(2022年6月)

          第12回創元SF短編賞選評(2021年5月)

          選評 小浜徹也(東京創元社)  応募総数550編は第4回以来の多さだった。東京創元社主催のミステリ新人賞2賞でも、最新回の総数は長編賞の鮎川哲也賞172編、短編賞のミステリーズ!新人賞608編で、どちらも過去最多。コロナ禍が影響した結果だと思う。  最終候補の7編はバラエティに富み、近年では最も豊作だった。  あまり伝える機会がないので最初に申し上げておくと、タイトルはとても大事。それも作品のうち、つまり著者の実力のうちで(たぶん3割ほど)、選考自体に直接は影響しないとはい

          第12回創元SF短編賞選評(2021年5月)

          野田昌宏年譜(2008年7月、2023年4月改訂)

          2008年に、大阪府岸和田市「浪切ホール」で「第47回日本SF大会DAICON7」が開催され、この大会の2日目、8月24日(日)の大トリとなるプログラム、星雲賞贈賞式で、野田昌宏さんに星雲賞特別賞が送られました。 これに先駆けて、同日の午後に野田さんの追悼企画「人生はSFだ」が設けられ、2部構成のパネルのうちの前半「SFは絵。だろ」(加藤直之・高千穂遙対談、小浜徹也司会)のため、小浜は参考資料というか記念のコピー冊子をつくりました。冊子には、野田さんの短いエッセイ等も、ご遺族

          野田昌宏年譜(2008年7月、2023年4月改訂)

          第11回創元SF短編賞選評(2020年5月)

          創元SF短編賞は、2010年に第1回を発表したときから受賞作を単独で電子書籍化し、その巻末に選評を掲載してきました。これら選評は、第12回以降はウェブ上で閲覧できるようになっているのですが、ぼくが選考委員をつとめた最初の年、第11回は読むことができないので、ここに公開いたします。 この回の他の選考委員は、堀晃さんと宮内悠介さんでした。  * 選評 小浜徹也(東京創元社)  これまでの最終選考会でも編集部代表として積極的に発言してきたが、今年から選考委員として名を連ねさせ

          第11回創元SF短編賞選評(2020年5月)

          アナウンサー・浜尾朱美さんの思い出(2018年9月)

           浜尾朱美さんは、1989年10月のTBS「筑紫哲也ニュース23(ツースリー)」の放送開始にあたって筑紫さんのアシスタントに起用され有名になりました。  一度きりの思い出があります。  浜尾さんは1961年徳島県生まれ。でも一時は千葉県にいたように聞いています。隣の高校の2年先輩でした。早稲田大学では放送研究会に所属して、一時は早稲田駅ホームの案内音声も担当したといいます。就職にあたっては、当然ながらアナウンサーを目指して放送局を受験するのですが、会場で「きみは取材する側じゃ

          アナウンサー・浜尾朱美さんの思い出(2018年9月)

          〈宇宙塵〉202号に寄せた野田昌宏さんの追悼文(2009年5月)

          同人誌〈宇宙塵〉202号(2009年5月刊)は、アーサー・C・クラーク(08年3月)、今日泊亜蘭(5月)、野田昌宏(6月)3氏の追悼号でした。たぶんこの記事が、ぼくの初めての〈宇宙塵〉への寄稿でした。このあと、別冊的な立ち位置の『塵も積もれば星になる』という本の柴野さんの追悼特集への寄稿と、最終号の追悼座談会への参加があります。思ってもみなかった、伝説の〈宇宙塵〉との関わりとなりました。  * 《キャプテン・フューチャー全集》のこと  忘れもしない、2003年7月19日

          〈宇宙塵〉202号に寄せた野田昌宏さんの追悼文(2009年5月)

          25周年を迎える日本SF大会・第2回(1986年4月)

          ■1970年代  60年代の日本SF大会は、日本のファースト・ファンダムとも呼ばれるべき世代によって担われた。大会自体のスタイルも、60年代中頃には一応の確立を見ているが、70年代に入って新世代にバトンタッチされてからは、それまで以上に毎年変化に富んだものとなってゆく。  現在の大会から振り返ってみると、様々なものがこの70年代の大会に端を発しているのがわかる。60 年代になかったものを挙げてみよう。星雲賞、コスチューム・ショー、プログレス・レポート、同時進行企画(分科会)

          25周年を迎える日本SF大会・第2回(1986年4月)

          25周年を迎える日本SF大会・第3回(最終回、1986年7月)

          第2回 https://note.com/kohamatetsuya/n/n2a503300b859 ■1980年代  1980年代の日本SF大会。  大部分の参加者の方々にとっては、ようやくこの時期が"同時代史"となるだろうか。  参加者が1000人の大台に乗り、総合会館を借り切って複数の企画が同時進行する。星雲賞発表、コスチュームショー、ファンジン売り場が欠かせないものとなり、当日は工夫を凝らしたプログラムブックが配布され、事前にプログレスレポートが届けられる。 ――

          25周年を迎える日本SF大会・第3回(最終回、1986年7月)

          25周年を迎える日本SF大会・第1回(1986年1月)

          ■1960年代 1. MEGCON  1962年5月27日、東京は目黒。180名を集めて、日本初のSF大会が開かれた。  会議室を利用した、たった1日のコンベンション。合宿もなく、事前登録制もない。何人集まるかも定かでない。何もかもが初めての試みだった。 「開会あいさつの中に、その日の朝ふと思いついた、『お隣の人の顔をよく見て下さい。みんなSFが好きなんです』という殺し文句(?)をはさんだら、本当にみんな、首を左右に動かしてくれたっけ」(柴野拓美、このときの主催代表)  

          25周年を迎える日本SF大会・第1回(1986年1月)

          25周年を迎える日本SF大会・前説(1986年の記事)

           本稿は、第25回日本SF大会DAICON5(1986年8月23〜24日、大阪府の吹田市文化会館「メイシアター」で開催。参加者数2500名)が発行したプログレス・レポート〈ジャーナル〉(全3号。発行日はそれぞれ、1986年1月31日、4月30日、7月15日。編集人は岡本俊弥、また表紙デザインは数年後に創元SF文庫のカバーをお願いすることになる松林富久治[ふくじ])の巻頭に、小浜が3回にわたって連載したものです。小浜は大会の立ち上げ段階からのスタッフであり、執筆時には23歳でし

          25周年を迎える日本SF大会・前説(1986年の記事)

          SFファンダムと大学SF研(1998年3月)

          オンライン・マガジン〈SF online〉no.13  1998年3月25日号の特集「SF研をさがせ」(小浜徹也監修)の特集解説として書いたもの。「全国大学SF研チェックリスト」的な一覧ページが呼びものでした。〈SF online〉は、so-netコンテンツ事業部より月刊で配信されました(97年3月創刊、2002年2月休刊)。  * 特集解説:SFファンダムと大学SF研 小浜徹也  ファンダムでは一般のファングループと同列に語られがちだが、本来、学内SF研というのは、大

          SFファンダムと大学SF研(1998年3月)

          ネヴィル・シュート『渚にて』の紹介記事(2020年2月)

          東京創元社サイトに書いたもの。なおこのころ、まだ佐藤貞雄さんによる新訳版は出ていません。また当時の著者名表記は「ネビル・シュート」で、新訳の際に「ネビル」の表記を「ネヴィル」に改めました。  * 知る人ぞ知る、人類絶滅小説のベスト1 「これはSFだけが流すことのできる涙」 ネビル・シュート『渚にて』  全面核戦争で北半球は死滅しましたが、物語の舞台となるオーストラリアは直接の被害を蒙らず、平穏な日々を送っています。  ですが死の灰は確実に、気流に乗って南下を続けていまし

          ネヴィル・シュート『渚にて』の紹介記事(2020年2月)