SFファンダムと大学SF研(1998年3月)

オンライン・マガジン〈SF online〉no.13  1998年3月25日号の特集「SF研をさがせ」(小浜徹也監修)の特集解説として書いたもの。「全国大学SF研チェックリスト」的な一覧ページが呼びものでした。〈SF online〉は、so-netコンテンツ事業部より月刊で配信されました(97年3月創刊、2002年2月休刊)。

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特集解説:SFファンダムと大学SF研 小浜徹也

 ファンダムでは一般のファングループと同列に語られがちだが、本来、学内SF研というのは、大学内に(ないしは高校・高専に、そして1960年代後半には中学校にまで多数設立された)あまたある公認・未公認の文化系団体のひとつにすぎない。
 決定的に異なるのは、構成員は基本的にその大学に在学中の学生に限られ、しかもいずれ全員が卒業する(でなければ中退・放校になる)宿命にあるという点だ。もっともOB・OGとなっても、彼らが地元に残っている場合には例会等に参加することも多い(OGに「卒業」という概念のないお茶の水大SF研は例外中の例外である)。また学外参加者を迎えている団体も多く、これはSF研が一種、地方グループ的に機能しているということなのかもしれない。つい最近のことだが、ある現役の学外参加者から、こんな話を聞いた。「だって近所の一般のファングループって、どうやって見つければいいんですか。近くの大きな大学に行けば、きっとSF研があると思った」(小浜による2009年の註。後輩であるArteの発言)
 SFファンダムは90年代にはいって変化した。現象面でいうと、ファングループの外部へのアピール、例えば商業誌上での告知や、活動報告となるようなファンジンの刊行が減っている。あるいは、あいまいな表現で申し訳ないが「グループ性」が弱まり「個」が目につくようになったという印象がある。どうだろうか。もちろんSFをめぐる状況自体の変化や、日本ファンダム自身40年を数えるようになったという事実も背景にはある。ここでは細かな検討をする準備がないが、いずれにせよネット文化の浸透は、ファンダムの情報発信・伝達手段の変化の筆頭に挙げられる。

 既存の一般グループはもとより、大学SF研でも(多くはOBを中心として)ニフティサーブのパティオが開設される機会が増えている。インターネットでのメーリングリストも盛んだ。さらに現在、ネット上にホームページを設けているSF系のグループには(ネット文化の性格上、当然かもしれないが)圧倒的に大学関係のものが多い。
 今回の学内SF研特集も、そうしたネット活動に焦点を当てて企画された。だが、もちろん、すべてがネット上だけでかたづくわけではない。ネットと関係なく活動している大学SF研のほうが圧倒的に多く、そちらについては今後もアンケート活動を継続したいというのが編集部の意向である。
 なおインターネットとファンダム、ファン活動の関連については関心のある方も多いかと思う。どこかで議論の場が持てればと思う。

 さて、SF研というのはあくまで現役の人たちのものだ。
「SF研の活動」とぼくらが一口に言っても、それは外部から一概に判断できるものではない。手がかりは限られていて、それは例えば対外的にどれほどファンジンが発行されているか、あるいは今で言うならホームページが面白いかということであったり、ファンダム的な感覚でいけば、どれほど外部の人間を巻き込んでいるか、というぐらいだ。
 だが現役にとっては、彼らが今いる「場所」こそが「活動」そのものなのだと言ってもいい(もっともこれは学内グループであるとないとを問わないが)。

 先ほど「外部へのアピール云々」という表現をした。だがじつは、とりわけ若い人たちの多い大学SF研を相手に、それを問題にすることはできないのではないかと、ふとそんなことを思った。じつはアピールする「外部」というのが、彼らにとって今はあまり魅力的に映らない時期なのではないか。
 ただ、もしそうした「外部」の存在を知る機会自体が、ひどく乏しくなっているということであれば、今回の特集が少しでもその手がかりに――少なくとも、自分たちと同じ世代の、他のSF研の存在を知るための手がかりになれば幸いに思う。

 また過去の資料については、少なくともその存在ぐらいは知って欲しいと思い、リストを作成し、特集中の「ファングループ調査の歴史――参考資料紹介に代えて」を記しておいた。けして、まったく縁のない世界の話ではない。すべてが All Our Yesterdays なのだ。

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 堀晃氏の名作「遺跡の声」の中にこんな一節がある。

「(宇宙考古学は)その種族の歴史の再構成を目的に、長い時間をかけて、遺跡を踏査し発掘する。時間をかければかけるほど過去の姿は明瞭になるのですが、同時に私たちはその“過去”からさらに遠ざかっている。時間的に遠ざかるほど過去が明瞭になるのはどういうことか……」

「明瞭」と言うには程遠いが、今回、特集用のリストを作成していて、似たような感覚を味わった。自分が年をとるにつれてファンダムに知人が増え、現役の学生だった当時には交わることのなかった方面の方から、あるいは世代の方から、はるか昔の話を遠慮なく聞ける(というか、否応なく耳にはいる)ようになったためだ。意外な方が、学内グループの設立者だったり、関係者だったりする。

 だが一方で、語弊のある表現かもしれないが、現場の「遺跡」に住んでいる人々にとっては、ことはこれとは逆になる。10年近く新たなデータがまとめられる機会がなかったり、また商業誌上のファンジン・レビュウがなくなって5年以上たつという理由もあるのだろうが、どこのSF研も歴史を重ねれば重ねるほど、創設時期や機関誌の創刊時期などの記憶が曖昧になったり、失われていったりする。アンケート上では、少なからぬSF研から、設立年や機関誌の創刊年については不確かであるという回答をいただいた。できるかぎりこちらで特定できたデータを記載したが、不十分な点が残っているかもしれない。

 もっともこうした現象は、なにも今回がはじめてのことではない。例えば78年の〈ファングループ資料研究会〉と82年の『日本SF年鑑』のデータのあいだでさえ、すでにくいちがっているものがある。こうした事態を見越してかどうかはわからないが、すでに70年代の早きから創設年などのデータを重視して調査活動を行っていた森東作氏の先見の明には敬意を表したい。そうでなければ、のちの時代の調査に際して手がかりも何もあったものではなかったと思う。

 資料作成に際しては、できるかぎり各種資料とのクロスレファレンスに努めたつもりだが、まだまだ誤謬があると思う。ご指摘をいただければ幸いです。また、各方面からさまざまな方のご紹介をいただいたが、時間的な制約もあり、すべてを生かし切れなかった。ここでお礼とお詫びを申し上げます。「せっかく教えてやったのに」「おれに訊いてくれればいいのに」と言う声がいまにも聞こえてきそうですが。

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