第11回創元SF短編賞選評(2020年5月)

創元SF短編賞は、2010年に第1回を発表したときから受賞作を単独で電子書籍化し、その巻末に選評を掲載してきました。これら選評は、第12回以降はウェブ上で閲覧できるようになっているのですが、ぼくが選考委員をつとめた最初の年、第11回は読むことができないので、ここに公開いたします。
この回の他の選考委員は、堀晃さんと宮内悠介さんでした。

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選評 小浜徹也(東京創元社)

 これまでの最終選考会でも編集部代表として積極的に発言してきたが、今年から選考委員として名を連ねさせていただいた。
 今回の最終候補作は、ここ何年かのような「明らかに頭ひとつ抜け出た一作」を見出しにくかった。いい点もよくない点も多種多様で、さまざまに議論されることになった。
 連続三度目の最終候補がふたり。どちらも過去作以上に面白く読めた。
 菊地和広「海底の泡沫虫」は挫折した研究者を語り手に、抑えた情緒表現で人生の部分部分を切り出していて、候補作中でも最も短編小説らしい。また有名な童話の要素と、さらにミステリ的トリックが導入されているが、あまり効果をあげていないように思う。結末で語り手は、昔の研究が着実に進展しているのを目にし、それが希望となって終わるが、それでも全体に内向きなこぢんまりした話に感じられる。そうした作風を目指したのだと思うけれど、受賞作として検討するには物足りなかった。もし「この研究は人類を変える可能性をひらくのかも」というところまで描いていたら、SFとしての読後感は格段に違ったのではないか。あと気になったのは、もうひとりの登場人物が、語り手に寄り添う恋人役に終始してしまっていること。「その脇役にとってこの物語は何か」と問いかけてみるのは、キャラクターのご都合性を排するためにも有益だと思う。
 一方、能仲謙次も最終候補は三度目。「ミニーニャと私が見た地球」はSFのスケール感が格段に増していた。全面核戦争後の衛星軌道上に、地球のデータを収めた唯一の宇宙ステーションが遺され、「最後の人間」を自認するAIが管理している。かつて大統領から与えられた「人間の存続」という使命に思い悩むうち、AIは保守用ロボットの一体をまっさらな赤ん坊に書き換えて育てようと考えついた……という着想は面白いのに、育成するにあたっての技術面での展開は(そこも読みどころとなるだけに)説得力に欠ける。あまりにも「人間の子供とそれに戸惑う親」っぽくはないか。子育ての顛末はいい感じなのだが、そこで作者が話の扱いに困ったかのようで、小説自体がうまくオチていない。「遠からず世界が終わると知っていても子供を産むのか」という伝統的な問いかけの、肉体を伴わないバリエーションだけにもったいない。
 SF的な作り込みということでは、佐伯真洋「青い瞳がきこえるうちは」にも物足りなさを感じた。VRパラスポーツものと言っていいのだろうか、語り手は盲人の現役卓球選手で、対戦は仮想空間内のアバター同士で行なう。かつてのトップ選手が、いまは長らく昏睡状態にありながらも夢の中でプレイをつづけている。そのトップ選手との対戦が彼を救う、という導入で、語り口も好感度が高い。だが、競技が技術的にどう成立しているのかとなると、これがよくわからない。現実の側では身体に電極を複数つないでVR世界に入るのだが、昏睡している相手のほうはどうするのか。脳と直結するとしたら(あるいはAIが代行しているとしても)試合を支える技術条件が違ってきはしないか。また語り手はピン球が鳴ることで位置を知るのだが、それであれほど高速の試合をこなせるのだろうか。サウンド・テーブルテニスを引き合いに出しているが別種の競技である。SF設定の全面的な見直しを前提にして受賞を検討することはできなかった。なおこの作品も、昏睡している彼をめぐる選手三人ごとに異なる執着が強調されれば、それぞれの「失われた青春」を回復するドラマになったのではないかと思う。
 一転して、夜来風音[やらいかざね]「大江戸しんぐらりてい」は、江戸時代を舞台にした歴史伝奇SFで、なんとも爽快なまでに細部の説明をぶっちぎっている。破天荒さにかけては歴代最終候補の中でも随一ではないか。徳川光圀のもと、安藤算哲や関孝和が奇妙な演算装置を【再発見】する物語で、鍵になるのは柿本人麻呂、挙げ句の果てには日本神話の神様まで持ち出される。意気やよし――なのだが、ぼくのような門外漢にも分かる名前だとはいえ、これら実在の人物をはじめ、背景となる舞台の説明がほとんどない。何度も検索し確認しながら読むことになり、面白い時代になったものだと思ったけれど、小説にとってはよいことではない。会話で補助するなど、相当なセンスが必要だ。また要所要所でしか細部を描かないことで読者を煙に巻いているが、では読んでいてつまずいたりしないかというとそんなこともなく、これを乗り切るのにも相当なセンスが必要だ。
 その点、松樹凛「さよなら、スチールヘッド」は、内容も語り口も安定していた。仮想世界内の美しいキャンプ地で暮らす、若いAIたち。みな、外部にいるオーナーの愛玩物だが、精神失調をかかえており、医師のカウンセリングを受けるために集められた。物語の途中、複数カ所に話者を伏せた文章が挿入される。そこで説明されるSF的な世界の成り立ち自体は工夫があって面白いのだが、そこにばかり集約されているので、作品としては大いにバランスを欠いてしまっている。日々の描写の中にも、キャンプ地へ来る前のAIたちの暮らしや、オーナーたちの姿勢を察せられるような、「外から作品を支えているが、作品内に描かれない世界」への目配りがあると奥行きも増したのではないか。端正な作品を仕上げる力があるだけに、もう一歩二歩の踏み込みを期待したい。
 さて、受賞作の須賀祥「上海」である。「生物都市」(諸星大二郎)+『結晶世界』(J・G・バラード)を思わせる終末SF。あるとき全世界を覆った植物生命体は、またたくまに地上を支配し、生き残った人類を海底都市へ追いやった。そして数十年が過ぎ、上陸調査任務に六名が送り出された。タイムリミットが導入されていることで娯楽性も増し、さらに結末では終末SFらしい美しさが醸し出される。総合的なうまさの点で、ぼくは本作を推したが、じつはこの作品も設定上のつじつまには疑問が多かった。この話に至るまでの出来事の時系列が判然としないなど、やはり「作品に描かれない世界」にブレが感じられる。これは世界のみならず、語り手自身の過去や、任務を共有した仲間との関係性についても言える。とはいえ大半は演出上の問題なので、発表に当たって修正は可能であろうと考えた。
 後半の四作はほぼ同等に議論された。また、「青い瞳」「大江戸」「スチールヘッド」三作をどう評価し、正賞以外の賞を贈るかについても、かなり議論された。作品それぞれに評価すべき点があり、選考委員それぞれに評価したい理由があり、最終的に「大江戸しんぐらりてい」に選考委員奨励賞を贈らせていただくことになった。昨年まで選考委員の個人名を冠していた「特別賞」を名称変更したものであることをご承知いただきたい。
 応募者の皆さん、今年もありがとうございました。最終候補者の皆さんのみならず、来年以降も引きつづいての応募をよろしくお願いいたします。

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