ネヴィル・シュート『渚にて』の紹介記事(2020年2月)
東京創元社サイトに書いたもの。なおこのころ、まだ佐藤貞雄さんによる新訳版は出ていません。また当時の著者名表記は「ネビル・シュート」で、新訳の際に「ネビル」の表記を「ネヴィル」に改めました。
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知る人ぞ知る、人類絶滅小説のベスト1
「これはSFだけが流すことのできる涙」
ネビル・シュート『渚にて』
全面核戦争で北半球は死滅しましたが、物語の舞台となるオーストラリアは直接の被害を蒙らず、平穏な日々を送っています。
ですが死の灰は確実に、気流に乗って南下を続けていました。
ある科学者は、南下に伴って放射能は薄れるだろうと希望を語ります。数年もすれば、われわれはまた北半球に進出できる、と。
人々はしかし、彼の言葉を真に受けているわけではありません。
彼らは繰り返し未来のことを語ります。来年の収穫を、子供の教育を、地域の経済を。それでも本当は「終わりの日」が近いことを察しています。
けれど彼らは、まるで麻痺でもしたかのように、あるいはその日がくることを本当に忘れてしまったかのように、来る日も来る日も従容として秩序を守り、そして子供を育てるのです。
そうしたなか、一隻の原子力潜水艦が北半球へ調査の旅に出ます。
合衆国の沿岸には、破壊をまぬがれた都市も発見されました。
水面下から潜望鏡だけが伸び上がり、かつての世界の姿が覗き見られます。海辺の街の上空には、その日もごく当り前の青空がひろがっているのです。
しかし、地上にあるのは人々の死体だけ。
動くものもないこの地上の姿を目撃する存在さえ、ここにはいないのです。
――こうした、恐怖さえ突き抜けてしまったような世界の終わりの風景を、幼年時代のぼくらは強烈に記憶しました。『渚にて』は、20世紀がのこした最高の破滅小説といって過言ではありません。
本書はかつて1959年にグレゴリー・ペック主演で、同題で映画化されました。この映画も後世に語り継がれる名作と評され、2000年にはアメリカの大作テレビ・ドラマとして再度映像化が果たされました。こちらも力作で、日本では『エンド・オブ・ザ・ワールド』の題名でビデオがリリースされています。
小松左京先生はこの作品を「未だ終わらない核の恐怖。21世紀を生きる若者たちに、ぜひ読んでほしい作品だ」と推薦されています(小松先生はまた、『渚にて』の影響下で『復活の日』を書いたと語っていらっしゃいます。御存知でしたか?)。
戦争の世紀といわれた20世紀は終わりました。ですが、21世紀となったいまも、本書を読んで思うことには変わりがありません。
来週、世界が滅ぶとしたら、あなたはどうやって過ごしますか?
(2002年2月1日)