柴野拓美さんの訃報(2010年1月)

東京創元社の公式サイトに無記名で書いた訃報(2010年1月17日)を若干修正しています。
じつはwikipediaの柴野さんの項にあるファンダムでの業績についてはぼくが挿入したもので、どう書いても同じような文章になる。wikiを真似っこしたと思われるのも癪なので、その部分についてはばっさり削りました。
この記事もホーガンの訃報と同じく複数の新聞社から確認の電話をもらいました。どなたかに「なぜ筆名ではなくご本名で報じたのですか?」と問われ、ぼく自身なぜそうしたか分からなかったのですが、「ご本名にしないと、みんなぴんとこないと思います」(大意)と答えたことを覚えています。新聞の訃報欄には、たぶんすべて「柴野拓美」の名前で掲載されました。

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SF作家・翻訳家の柴野拓美(筆名=小隅黎[こずみ・れい])さんが、1月16日午後8時6分、肺炎で逝去されました。1926年10月27日、石川県生まれ。83歳でした。

日本初のSF同人誌〈宇宙塵〉を、1957年5月の創刊時より一貫して主宰、編集してこられました。月刊商業誌〈SFマガジン〉に遡ること2年前の創刊であり、この同人誌からは星新一をはじめ数多のSF作家、翻訳家、評論家が誕生しています。創刊から15年間は月刊刊行、その後も現在まで不定期刊で続いており、最新号202号は昨年春に発行されました。

翻訳家・小隅黎(この筆名自体は〈宇宙塵〉創刊のときから使用しています)としての創元SF文庫への初登場は、1977年刊行の、E・E・スミスのレンズマン・シリーズ最終巻(当時いったん全6巻として完結していた旧訳版シリーズに続けて刊行した、第7巻『渦動破壊者』)でした(当時の叢書名はまだ「創元推理文庫SFマーク」)。そして2002年から04年にかけて刊行した新訳版レンズマン・シリーズは創元SF文庫での、また単独名義での訳業としても、最後のまとまったお仕事となりました。

レンズマンに関しては、02年5月、丸善名古屋店の主催で、"新訳版『銀河パトロール隊』刊行記念"と銘打ち、柴野さんの盟友だった故・野田昌宏さんとのトーク・セッション「SFこそ我が人生」が同店で開催され、100名近い参加者を集めたことも懐かしく思い出されます。

ハードSFの翻訳が中心でしたが、それにとどまらず、創元SF文庫ではニーヴン&パーネル『インフェルノ』、ハル・クレメント『一千億の針』や、また、ポール・アンダースン『アーヴァタール』、そして『造物主(ライフメーカー)の掟』他のJ・P・ホーガンの諸作品を翻訳していただきました。

ぼくは昨年12月に、日下三蔵さんとともに御自宅へおうかがいし、3月刊行予定の今日泊亜蘭『海王星市(ポセイドニア)から来た男/縹渺譚(へをべをたむ)』のために今日泊さんの思い出話をうかがったばかりでした。

ご冥福をお祈りいたします。

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