休養2週間の診断書 1ヶ月も休養したら今度復職するのが辛くなると思い、主治医に2週間でお願いした。 診断書の1ヶ月を3週間だと思っていた私。 「1週間くらいあってもなくても変わらない。 2週間で普通を取り戻してみせる」 しんどいながらにそう意気込んでいた私。 ・監視されている感覚、否定的な声が聞こえる気がする、希○念慮等うつ症状が軽快すること ・復帰できると自分でも思えること 主治医からこの2つを復帰の目安として提示された。 1週目 何もできなかった。 起き上がることがや
5/29(月) 朝、早めの目覚ましを止めてすぐ吐き気がした。 ベッドから転げ落ち、うずくまった。 涙が止まらない。息が吸えない。全身震える。 怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。 枕元に常備している抗不安の頓服薬を飲み、1時間くらい経っても治まらない。治まるどころか被害妄想が膨れ上がり何もできない。 業務開始時間ギリギリ、なんとか師長に連絡。自分の状況を説明できない。 「落ち着いてきたらでいいからこっち来れま
学生時代、うつ病の診断で通院していた期間があった。 社会人となり不安や緊張からか、焦燥感がひどく眠れない日が続き、4月半ば心療内科を受診。前服用していた薬を処方してもらっていた。 5/26(金) 朝起きたときから少しおかしかった。頭が全く働いていない感覚。ずっと失神する前のような感覚。 「死にたい」 職場へ向かうため車に乗ると涙が止まらなかった。頓服薬を飲んでいても。 職場についても止まらなかった。着替え終わる頃、なんとか抑えられるようになった。 病棟へ上がり、「今日やばい
自傷はしない 精神疾患=自傷という印象を持つ人は少なくないと思う。思うのは自由だが、それを口にするのはやめて頂きたい。 私はリ○カやア○カ、ODなどは生まれてこの方したことはない。 私は自制心が強い方だと思う。苦しくて辛くて消えたくて死にたくて、カッターを腕に当てたことはある。服薬時に「全部飲んだらどうなるんだろう」と考えたこともある。だけど、知ってしまっているから... 傷の痕は消えない。後遺症が残る可能性がある。 看護師になるのに腕に傷なんて...ここまで勉強してきたの
初めての発作 2021年9月、山のような課題の気分転換に電車で出かけた日の帰りだった。 帰ろうと駅に向かったのは帰宅ラッシュの時間帯、これまではなんともなく人混みをすり抜けてホームまで行っていたが、その日は冷や汗と動悸、手の震えがすごかった。 はしゃぎすぎて疲れたかなぁと思いつつ、ホームへ向かい、電車を待っていると、急に息が苦しくなった。過呼吸になったことは何度もあったため、「あ、これまずいやつだ」と感じて、これまでの経験通り呼吸を整えようとしたところ...無理だった。 過
うつ病になる前 うつ病と診断される何年も前、高校生の頃から、私は「死にたい」「消えたい」と思うようになった。 今思えば、思春期と家庭環境の複雑さから成熟していない精神の年齢の私には相当なストレスだった。 長期休みで家にいる時間が長いと、朝から夜までベットから起き上がれない、意味もなくイライラして涙が出る、好きな範囲の勉強をしていても急に虚無感に襲われるなど、正常とは思えない言動があり、祖母を困らせていた。 授業期間でも、親と顔を合わせ何かを言われたしばらくは病み、勉強と嘘をつ
2020.11 うつ病診断からしばらく、毎週通院が2,3週間に1度と通院の間隔も広くなり、認知行動療法も順調だった。 2021.2 実習1週間目 初めて患者さんを受け持つ実習が2週間。始まった。 コロナにより病院に行けず、学内での実施となった。 自分のことで精一杯なのにクジでグループのリーダーに。初めて受け持つ患者さん。電子カルテと実技時間からしか得られない患者情報。初めてで何が必要か分からず全てをメモすることに必死な自分と絞って情報収集できているグループの賢い子。授業で
うつ病と診断されてから、仲のいい友人にはそれを打ち明け、ほんとにしんどいときはとんでもないことを口走るかもとか、重い相談に乗って欲しいことがあるかもと伝えた。 そして、どんなときに症状が顕著になるのか、何を感じたのか、一日をどう過ごしたのかをなるべく毎日日記にし、落ち着いている日に自分自身のアセスメントをするようにした。 朝と夕方から夜にかけて調子が悪く、食欲もそれに比例。睡眠は眠剤を飲んでいても何時間もねつけなかったり、中途覚醒が多い次の日は特に調子が悪いことがわかった。
2020年9月 何も楽しくなくなった。 もともと不眠気味で、あまり寝れてないせいだと放置していた。 ある日、胸がザワついて、涙が止まらなくなった。夕方から夜にかけてじっとしていることが苦痛で、落ち着くまで部屋中を歩き回った。「死にたい」「消えたい」「怖い」 大学に行けば関係の無い声が全部自分の批判に聞こえた。友達の話し声より周りの声の方が大きく感じた。誰かと居ることが苦痛で、たった50分の昼休みでさえ家に帰るようになった。 これでも看護学生で、うつ病の知識はあった。だけど認