MBTIで多様性を再定義する
ユングのタイプ論
MBTI®(Myers–Briggs Type Indicator)は、ユングの性格タイプ論を土台とし、世界50ヵ国超、年間数百万人が診断を受けている由緒ある性格診断手法の一つです。
詳しい内容は今回は割愛しますが、簡単に言うと、自然界の多くを構成する「二律背反」(光と闇、陸と海のように、互いが同時には存在しないもの)の概念が、人間の心の働きにも適用されるという前提のもと、次の4つの心の働きをそれぞれ二律背反で2の4乗=16通りの組合せに分類します。
①エネルギーの方向性(外向"E" ↔ 内向"I")
②知覚のプロセス(感覚"S" ↔ 直観"N")
③判断のプロセス(思考"T" ↔ 感情"F")
④外界との接し方(判断"J" ↔ 知覚"P")
例えばE-S-T-Jという心の働きの組み合わせがあなたにとって一番しっくりくるとき、「ESTJ」があなたの生来的なタイプである可能性が高いという結果になります。
ちなみに巷で検索して出てくる無料診断はすべて海賊版で、正規版は認定ユーザーのフィードバック付きの実施のみが認められています。(私も認定ユーザーの資格を取ろうとしているところ)
というのも、とりわけ日本人は性格タイプ論という解釈に慣れていない民族で、性格というと「明るい」とか「優しい」というように何らかの標準に対して相対的にどうこうっていう話になってしまいますよね。だから、例えば「外向型」でしたっていう結果を「外向的な人」と間違って受け取ってしまいやすいのです。これは性格特性論と呼ばれるもので、日本人にとって馴染み深いのはこっち。その流れのままに、相性診断みたいに使われているのも、間違った解釈に基づく使われ方です。(まあ特性論だとしも、何をもって相性が良いのか、楽な関係ってことなのかぶつかりつつも高め合うってことなのかも人それぞれだから、良し悪し系の相性診断はそもそも前提として無理あるのだけど)
「内向」だから内気だとか、「思考」だから人の気持ちが理解できないとか、そういう誤解・誤用がされないよう、ちゃんと認定ユーザーがサポートすることになってるわけですね。あくまであなたが自然と好む心の働かせ方が、「内向」型は外部よりも自身の内側からエネルギーを受け取りやすい、とか、「思考」型は判断するときに価値観よりもまずはどうあるべきかというところに焦点がいきやすい(=そのあとちゃんと価値観ベースの判断もするよ、二律背反だから同時ではないけどね)ということです。
タイプは花の種のようなもの
MBTIが示すのは後天的な役割性格としてのパーソナリティ(ペルソナ)ではなく、先天的なキャラクターです。
タイプは花の種のようなものとされています。あなたは向日葵、あなたは彼岸花というように、生まれ持って、花の種類は決まっています。しかし、環境によってどんな花を咲かせるかは、それぞれに無限の可能性があります。涙の数だけ強くなってアスファルトに咲く花になるも良し、ということです。
大事なのは、タイプ論は人を分類するのが目的でもなければ、可能性を否定するものでもないということ。そうではなく、自分がどんな花の種類であるかを正しく自己認知することではじめて、自分らしく最も美しく咲く生き方を正しく考えることができる、ことが重要なのです。
あなたの心の働きは、桜のように刹那的な華やかさで世の中を彩ることを、果たして本当に望んでいるでしょうか。
そして、自分の咲かせ方もわからない人間が、他人を咲かせることなど、どうしてできようものでしょうか。
MBTIは多様性時代に組織を率いたり人を育てる者たちにとっての必須履修科目になる
タイプ論を理解できてないことは、男と女に(生物学上の)違いがあることを理解できてないことと同じです。ジェンダー論で「(生物学上の)区別」と「(特性を決めつける)差別」の違いを見失っているケースがありますが、タイプ論を「人の当てはめだ!」などと否定して目を背けることは、それと同じようなこと、つまりタイプ論と特性論を混同しているものと言えるでしょう。
海外では挨拶の次に「それで君のタイプは?」と聞くような土壌が形成されているのと比べると、おそらく日本人は一歩遅れをとってしまってます。でも逆に言えばそれだけタイプ論を活かす伸びしろがいっぱい残ってるということです。
なんたって日本人は輸入した概念をしっかり熟成させて自分のものにしちゃうことが大の得意ですから。
物質時代が終わりを迎えつつあります。所有の幻想からもはや解き放たれたいま、次にヒトが関心を向ける領域は、ヒトそのもの、ヒトが生み出す本質的な概念、になります。
ラーメンや自動車をうまい具合に熟成させた日本人は、ITという物質なのか非物資なのかようわからん時代の移行期ではうまく波に乗れませんでした。しかしこのあとの非物質時代では、生来の日本人の強みである他者への敬意や良い意味での共感性、これにタイプ論をベースにした自己認知と他者理解が組み合わさることで、日本人ならではの熟成を成し遂げるような気がしてなりません。実に楽しみですね。
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