新海監督アニー賞を逃す!敗因と考察
新海誠監督「すずめの戸締まり」のアニー賞受賞なるか?の記事で書いたことが現実になって、やっぱり予想が当たっても、新海ファンとしてはショックはショックである。
敗因は何であったか?それを述べていきたいが、まず、勝負事ではないので敗因と言うのはいささか不躾である。しかし、ファンとして勝ち取ってほしかった思いが強く、こういう表現にならざるを得ない事をご承知いただきたい。
この映画はアニー賞を獲得した作品と決定的な違いがある。エンターテイメントという枠組みの中で、「楽しみ」とは真逆の「悼む」ことを果たしたという点においてだ。
エンターテイメントとは面白いものである。だから人は積極的に触れようとする。つまりそれは人の集まるメディアなのである。そして人が集まる以上、エンターテイメントは多くの人にメッセージを送ることのできる媒体になる。新海監督はこのことを使って、東日本大震災の被害を悼み、風化させないような映画を作ろうとしたのだ。しかも「お客さんが見たいと思うもの」「お客さんが楽しめるもの」という視点での制作を一貫した。
しかし、お客様ありきという姿勢を崩さず大震災を悼む事では簡単ではなかった。楽しんでみられる映画でありながら、災害を悼む映画を作るという事は「笑わせつつ泣かせてみよ」という無理難題をこなすことに近い。ところが、新海監督はこのことを成功させた。そのことは興行収入や映画に対する様々なコメントから分かる事である。国内で150億円を超える大ヒット作でありながらも、「泣けた」「何回も見に行った」という人々が後を絶たなかった。
『すずめの戸締まり』がエンターテイメントの中で異色を放つ所以がそれだ。人々を笑わせ、そして泣かせ、東日本大震災の被害を悼むことを現実のものにしたこの映画は一目置かれる存在となった。海外がこの映画に注目したのだ。
このことはある種、異様である、新海監督は海外上映での興行収入などを考慮せず、震災の恐ろしさを共有する「日本人」にターゲットを絞っていたからだ。にもかかわらず諸外国から賞賛を受けるに至った。このことに新海監督は驚きを覚えているという。
それもそのはずで、一般的にアニメーションの巨匠となった監督たちは、映画の作成において、興行収入だけでなく、様々な賞に輝くことに狙いを定めるだろう。例えば「すずめの戸締まり」と対比してニュースになることがあるジブリの「君たちはどう生きるか」は、国内では事前の宣伝を全く行わなかった。しかし、諸外国に対しては事前の宣伝を行ったり、有名な著書をモチーフにしたりするなど、アニメーションの各賞に狙いを定めていたことが伺える。一方、新海監督は「日本のお客さんが見たいものを作る」ことだけを考えていたにもかかわらず、諸外国からの評価が高かった。
様々な賞にノミネートされたことは狙って獲得した誉れではないという事だ。しかし、確かな高評価を得ている一方で、『すずめの戸締まり』は決定的な受賞には至らないケースが多かった作品でもあった。しかしそれもそのはずである。そもそも狙っていなかったのだ。新海監督は誉れと名誉ではなく「お客さんの楽しみ」と「災害被害の悼み」の二つを追求することにこだわった。
これが受賞に至らなかった決定的な敗因である。新海監督の追い求めていたものと、受賞による誉れとはベクトルが違ったのだ。ただし、この映画は様々な賞にノミネートされている。「お客さんの楽しみ」と「災害被害の悼み」という二律背反から生まれたこの暖かい映画は、受賞こそしなかったものの「狙ってないのに高評価されてしまった」映画である。それは新海監督の美しい表現力と深い作家性が実現させたのであろう。
新海誠という監督の奥深さと実力には畏れるほかないのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?