「すずめの戸締まり」アニー賞受賞なるか?ジブリはどうなる?【結果予想】
新海監督『すずめの戸締まり』を20回ほど見た私が、アニー賞受賞なるかを予想します。また、良く対比されるジブリについても考察します。
この映画は非常に価値の高い映画であるにもかかわらず、他の新海映画に比べると受賞数が少なく感じます。様々な側面から考えて結論から言うと、アニー賞では1,2部門で受賞するか、受賞なし、というのが予想です。なぜこのような辛辣な予想になるのか?私がこの映画の真価に触れることが出来たからこそなのかもしれません。
理由は主に2つで、ひとつは新海監督が「日本の災害をテーマとする」という使命感を貫いたからです。もうひとつは「国民が見たいものをつくる」という観客からの視座を一貫して守り抜いたことです。
まずは、ひとつ目の新海監督が「日本の災害をテーマとする」という使命感を貫いたことについての考察です。東日本大震災を映画のテーマにした監督の思いやその偉業、それゆえに得られなかった賞について述べます。
この映画の真の価値は3.11を題材にしたところにあります。日本人にとって甚大でショッキングな東日本大震災。大切な人を亡くしたり、大切な家屋、仕事場を失った被災者の方は、それを昨日の事のように思い出すかもしれません。
しかし、直接被災していない人のなかでは、10年前の震災の記憶は徐々に薄れています。震災直後、日本はCM、エンタメ、祝賀行事などの物事を慎んで、被災者に思いを寄せていました。しかし、今もそうしている人はそうそういないでしょう。震災を知らない若者もいます。今の日本は、忘れてはならない記憶が薄れていっている、そんな時代に入っています。
だからこそ新海監督は「すずめの戸締まり」は利用者が最も多いと思われるエンターテイメントという枠の中に、東日本大震災を織り込んだのでしょう。確かに、震災はエンタメの題材にする事はふさわしくないという意見もあります。しかし、メンタメという多くの人が触れるコンテンツにそれを含めたことこそ、「すずめの戸締まり」を単なるエンタメを超えた価値に繋がっているのです。
それはどういうことかといえば、「例えば、震災を忘れないために、ドキュメンタリー番組を作ったり書籍を販売したりしても、多くの人に届くメディアにはならないでしょう。しかし、エンタメなら多くの人が鑑賞します。人口密度の高いエンタメに「震災を忘れないで」というメッセージを込めたことで、映画を鑑賞した多くの人は東日本大震災の被災者について、多かれ少なかれ思いを寄せたでしょう。その功績こそエンターテイメントを超えた価値なのです。
新海監督は、東日本大震災の被災者にずっと思いを寄せてきています。『君の名は』や『天気の子』は災害をテーマに持っていますが、監督は震災の記憶がベースにあったと、インタビューで仰っています。そして『すずめの戸締まり』はダイレクトに東日本大震災をテーマにしています。映画で震災を扱うという事は、新海監督のアーティストとしての「責任感」であったのかもしれません。
というのも2021年~2023年の間、新海監督の新作映画は多くの人に期待されていました。コロナ禍で日本が精神的にも財政的にも疲弊している時、映画界を中心に「すずめの戸締まり」は大ヒットすることを期待されていました。つまり売り上げの立つ映画を作ることが監督には求められていたのです。
そんな情勢の中で、東日本大震災をテーマに映画を作るという決断はかなりリスクの大きいものだったはずです。このような繊細なテーマを映画の土台にすることは、下手をすれば批判されて売り上げも立たず、新海監督の地位すら危ぶまれる事態を引き起こす可能性が高いからです。
それに震災よりも、興行収入や世間からの評価が高くなるテーマはいくらでもあったはずです。であるにもかかわらず、監督は「東日本大震災」に対する思いを貫いたのです。ここに新海監督のアーティストとしての「使命感」を感じずにはいられないわけです。
しかし、それは映画の社会的な評価である「賞」のを取り逃したことにつながったのではないかと思います。震災というセンシティブなテーマを織り込んだ映画であるが故に「賞」という形での評価をしにくかったのではないかという事です。さらに言えば、世界中の視聴者ではなく、日本の視聴者目線で映画を作ったため、諸外国の賞を獲得しにくかったのだと考えます。震災を知っていて、震災被害を悼む日本人の気持ちに働きかけることが前提の「すずめの戸締まり」は、諸外国の賞の審査基準から外れた可能性があります。
もう一つの「賞を取り逃す可能性」となる原因に「国民が見たいものをつくる」という観客からの視座を一貫して守り抜いたことについて述べます。
新海監督は「自分の作りたいように作りたい」というアーティスティックな気持ちを抑えて「国民が見たいものを作らねば」という卓越したサービス精神を優先したと考えられます。インタビューをいくつか拝見すると、映画を国民が見たいものに仕上げるため、新海監督の持つ独特の創作能力を抑えなければならなかったことも多かったように感じます。
国民というのは何千万人もいるものです。新海監督はそれらの期待に添うために、分かりやすく面白い映画構成を行ったように思います。それは、なんといってもこの映画の分かりやすさに現れています。その為には一般的に理解されにくい、専門的な独創性や前衛性を捨てざるを得なかったのだと思われます。
様々な賞の誉れを受けた作品は、必ずしもベストセラーになったり大衆に受け入れられたりするものではありません。大衆性を優先すれば専門性は失われるからです。極端な話をすれば、日本三大随筆の一つ『徒然草』は文学の頂点を担っていますが、今ベストセラーかというとそうではありません。古典として価値が高くても専門性が高く大衆性が現代では失われているわけです。
このように、新海監督のサービス精神ともいえる「国民が見たいと思うものを作る」ために、新海監督の独創性や専門性が失われたがために、崇高な賞を取り逃してきたのではないかと思います。
以上の様に、新海監督の「日本の災害をテーマにする」という使命感と、「国民の見たいものを作る」というサービス精神の二つが、「すずめの戸締まり」が本当に持つ価値をマスクしてしまい、これまでいくつかの賞を取り逃したのではないかと思います。
アニー賞の発表には私も期待をしていますし、賞をとればファンとしてこれほどうれしい事はありません。私が今回辛辣に予想したのは、新海監督の「東日本大震災の被害を悼む気持ち」と「国民の見たいものを作る」という崇高な思いに対する敬意ゆえなのです。受賞をしようがしまいが、映画の価値が損なわれるものではないのです。「すずめの戸締まり」が素晴らしい作品であることに変わりはありません。
最後にジブリの作品もノミネートされている件について述べようと思います。ジブリの最新作は発表後から様々な賞にノミネートされ、受賞されています。ジブリのすばらしさは私も認めるところです。ただ、この2者を比較するのは土場が違うと思うのですね。新海監督の様に「日本に対する使命感」や「サービス精神」の縛りを受けて作られた作品が、そうでない映画と比較するのは、サッカーと野球のどっちが優れているか?といった意味のない比較になると思います。ジブリが新海監督の様な「縛り」なく作品を作ったなら、受賞という点だけを見たとき、ジブリに軍配が上がるでしょう。『君たちはどう生きるか』はアニー賞受賞は確実でしょう。
私は新海監督の映画も人柄も大好きです。新海監督の素晴らしい映画『すずめの戸締まり』を、私はこれからも定期的に見ると思います。それは新海監督の「使命感」と「サービス精神」が私の心にうまくはまり込んだからです。監督のメッセージをしっかり受け止めて私も震災の被害に対して思いを寄せることが出来ました。新海監督には、次は「自由」に映画を作って頂きたいと思います。
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