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選ばれなかった君
私は、小さい頃からいつも一番だった。
家の中でも、学校でも、容姿や頭脳に関しても、そう、非の打ちどころのない人間だったと思う。
それなのに、と唇をかみしめる。
どうして私は選ばれなかったのだろう。
性格がダメとか言う人もいただろう。
けれど、性格以上に能力が勝っているのなら性格なんてどうでもいいはずなのに。
どうでもいい、と言ったら語弊があるかもしれない。
ただ人並みにきちんとコミュニケーションはとれる。
協調性も人よりある。
容姿が良くて頭も良い。
性格もそこそこ良いはずなのに。
それなのに、本当にどうして駄目だったのか。
どうして私は神様の子供に選ばれなかったのだろう。
どうして私よりも劣っているあの子たちが選ばれたのだろう。
そもそも神様の子供に選ばれなかった人間に存在価値なんてあるんだろうか。
そこまで考えてしまうと、自分の両親だって選ばれなかったんだよなと気持ちが沈む。
神様の子供に選ばれるのは十八歳の子供のみ。
選ばれる基準は明らかになっていないけれど、軒並み優秀とされる子供が選ばれる。
だから生まれてきて物心がついたころには皆一様に、神様の子供に選ばれるため必死になるというのに。
その努力も無駄に終わった、ということだ。
私はこれから先、何を目標に生きていけばいいのだろう。
神様の子供に選ばれるためだけに頑張ってきたのに、それがなくなってしまった今、私はどうすればいいのだろうか。
私の両親や、周りにいる大人に聞いたところできっと意味はない。
その大人もまた選ばれなかった人であるのだから、優秀ではないということだ。
優秀でないものに話を聞いたところで、とここまで考えたところでもう一度ため息が出る。
私が神様の子供に選ばれなかった日から何年か経った。
私は今、選ばれなかったことに安堵し、また感謝している。
私は大学に入ってから、神様の子供の本当の意味を知った。
あれは優秀な子は選ばれるのではなく、その逆だった。
優秀ではない子が選ばれる。
どうしてか。
神様の子供というのは犠牲を都合よく言い換えたものだった。
神様の子供に選ばれると、その子は一生エネルギー供給のための糧にされる。
世界中のどの都市でも地下に、空中庭園に、地上の隔離施設に、エネルギー供給施設がある。
そのエネルギーの源はヒトである。
ヒトのエネルギーを利用して街中にエネルギーを供給しているのだ。
選ばれた子は街のエネルギーのために犠牲になっている。
それを知ってしまってから、私は私が選ばれなかった意味がようやく分かった。
私は街の犠牲になるべき子供ではなかった。
そういうことだ。
容姿もよく頭もよく、性格もそこそこ良い。
そんな優秀な子供が、神様の子供に選ばれるわけはないのだ。
これから先もあの頃の私のように、まだ神様の子供に選ばれるために努力する子は沢山いるだろう。
本当の意味を知らずに。
そして選ばれなかったことにたいして愕然とするだろう。
しかしその数年後、本当の意味を知り安堵するだろう。
それから最後に、口をつぐむだろう。
神様の子供に関して、選ばれなかった者はその真相を口にしてはいけない。
それが、これから先もヒトが生きていくために必要なことだから。
そういえば今年は明後日、神様の子供が発表される。
いったい誰が選ばれるのだろうか。
選ばれなかった私には、もはや関係のないことだった。