悪ではない
殻の中に閉じこもって過ごしているだけでいいのなら、世界はなんて楽で平和なのだろう。
いつだったかあいつが居なくなる前に残した言葉だ。
あいつはもともと体も気も弱く、人と関わること自体に大きなストレスを感じるやつだった。
そんな大人しすぎるくらいに大人しくて、いつも何かに怯えているようなやつが何故だか俺にはよく懐いていた。
どこへ行くにも一緒について回るので、周りのやつらからは面白くもない言葉でからかわれたりもしたが俺は気にしたことはない。
もちろん、あいつは違ったけれど。
周りが言うことは大抵、同じじゃないから気持ち悪いとか、そういうよくわからん考えのもとちょっかいをかけてくるのだ。
そんなやつらは放っておけばいい。
そんなやつらの言葉にいちいち反応していたらノイローゼになるぞ、あいつにはよくそう声をかけていた。
でもいくら俺が言ったとことで、あいつはあいつで俺は俺。
考え方や感じ方がそんなに簡単に変わるわけがない。
あいつに至っては、変わるなんてことは有り得ない。
だからあいつは心は自分の殻に、体は家の中に閉じこめるようになった。
閉じ込めるというと語弊があるかもしれないが、引きこもりとは違うのでこの言葉で間違いはないように思う。
ただ、あいつの両親や周りの人間たちは引きこもりという言葉を使っていた。
その言葉にあいつはまた傷ついて、さらに閉じこもるようになる。
会いに行っても顔を見せることはなく、連絡をしても返ってこない日が多くなった。
嫌な予感がしていた矢先に届いたのが、あの言葉だ。
殻の中に閉じこもって過ごしているだけでいいのなら、世界はなんて楽で平和なのだろう。
あいつは自分の状況を良くないもの、悪とみなして自分自身を追い詰めていた。
そんなものは大多数による勝手な思い込みであるというのに、あいつは閉じこもるのは悪だと、そう考えていたのだ。
自分が存在しているだけで、周りに迷惑をかけている。
閉じこもり続けることでそれは、一生涯続いてしまう。
自分は悪なのだ。
きっとそう答えを導いたのだ。
だからあいつは、俺に先の言葉をよこしたあと、居なくなってしまった。
自殺ではない。
あいつは忽然と消えた。
家出だと両親は言っていたが、あれは失踪だ。
失踪よりも蒸発という言葉が合っている気もするが、世間的には失踪になるのだろう。
あいつが居なくなって周りは蜂の巣をつついたような騒ぎようだったが、俺は。
俺だけは冷静だった。
何故なら、居なくなったあいつのことを心配などしていないからだ。
むしろ俺は安心した。
あいつは、閉じこもるために居なくなったのだ。
そう、俺は理解している。
あいつ自身が安心して過ごすために、あいつはここから居なくなった。
ただそれだけのことだ。
できることなら、誰もあいつのことを探し出さないでほしい。
あいつはきっとそれを望んでいる。
あいつの選んだ生き方に、外野が手や口を出すべきではない。
かまうな、ほうっておけ。
居なくなったあいつのことを考えながら、俺は強くそう願った。