久しぶりにビッグイシューを買って思い出した20年前のペルーでの出来事
はじめに
今日は番外編というか、日々の暮らしで思ったことを書きます。
こういう内容も書くんです笑
なお、このトップ画像のおじさんは僕が撮影したのではなく、ビッグイシューの公式HPに載っていた方です。
勝手に使い回してはいけないのでしょうが、ビッグイシューの宣伝も兼ねてますのでお許しください🙏
駅で見かけるビッグイシューのおじさん
今日、仕事帰りに駅でビッグイシューを売ってるおじさんを見かけました。
ビッグイシューってホームレスの人の社会復帰の手助けをしてる企業なんですけど、世間の人はそれ知ってるんですかね?
ただの路上販売の人と思ってるのかなぁ笑
ビッグイシューのおじさんは売り文句を喋っちゃいけない決まりなんです。
だから、皆さん黙って雑誌を持って立ってます。
しかし今日の方は腕をまっすぐに伸ばして持っていて、何も喋ってないのに何か凄く目立ってたんです笑
それで気になって、最初は素通りしましたが駅のところでしばらく観察して、それから歩み寄って買いました。少し話したりもして。
ホームレスの方を見てて感じるのは、ものすごく周りから切り離されているということです。
田舎はわかりませんが、東京だと目にも入れたくないといった感じでみんな歩いていきます。
TENOHASIでホームレス支援ボランティア
ビッグイシューは何度も買ったことがあって、ホームレス支援活動をしているNPOのTENOHASI(てのはし)の活動にボランティアとして参加させていただいたことも2回あります。
なぜホームレスの支援活動に興味を持ったかというと、僕は大学以来精神疾患の持病があり、かつてその経験を活かして当事者でありながら支援職に就きたいと思っていたからでした。
なので、いわゆるピアサポーター(当事者支援)活動はいろいろやりましたし、以前から興味のあった手話を独学で勉強して一番易しい5級の資格を取ったりもしました。
ホームレス支援も知見を広げるために参加したのです。
池袋の駅構内と駅周辺のホームレスの人におにぎり(かやくごはんみたいなやつ)を配るのと、東池袋中央公園でのそうめんの配給をしました。
おにぎりの配給はぞろぞろ15人くらいで回りましたが、僕や他のボランティアが渡そうとしても「大丈夫大丈夫」ってもらいたがらない人も中にはいました。
気持ちはわかる感じがします。職員さんが説得したらもらってくれましたが、本当はご飯の配給は嬉しいにしても専門職でもないただのボランティアに恵んでもらうのってかなり屈辱的なことだと思います。
気にしない人は気にしないのでしょうが、ホームレスも駅構内に寝床を作る人や街中のわかりづらいところに寝床を作る人、さまざまです。
他のホームレスともつながりやすい駅構内とかのほうが支援の目が行き届きやすいのですが、ホームレスにも社交的な人、内向的な人、さまざまな人がいます。
いきなりクイズです笑
さて、ここで問題です。以下の写真の問題点がわかりますか?
早くわかった人ほど社会問題への関心が高いといえます。では、行きます。
ん?ただの街の風景だろ?って?
これは「ホームレス排除アート」と呼ばれるものです。
電車の座席って、昔は座る凹みありませんでしたよね?
あれは、7人がけに7人きちっと座らせるように工夫したデザインです。
上のベンチも、昔は肘掛けや仕切りがなかったんですよ(いま大学生くらいの方は最初からこんな感じだったかもですが)。
ホームレスの人がゴロンと寝転がれないようにしたデザインです。
意味不明なブロックが乱立してるデザインなんか気味悪さすら感じます。
たしかに行政は行政で住民の苦情に悩まされている部分もあるのでしょう。
しかし街全体がこんな感じですから、ホームレスの人たちが「自分たちは社会から不要とされてるんだ」と思っても仕方ありません。
そんな中で諦めずに社会復帰しようとしているホームレスの方がビッグイシューを売っているのです。
ちなみにこの「社会復帰」という言葉、好きではありません。
僕は精神疾患で入院していたことがありますが、この世の人はみな社会に属していると思ってるので(引きこもってる人も)、便宜上の言葉だとしても「社会に属してない人」と相手を見なすのは避けたいものです。
ペルーでの忘れられない出来事
ホームレスのことで忘れられない出来事があります。
大学1年の終わりに旅行したペルーでの出来事です。
バイト代でペルーとボリビアを5週間一人旅しました。貴重な経験でした。
ペルーの首都リマで最初に泊まったのは日系の方が経営してる安宿でした。
『地球の歩き方』に好意的に紹介されていたのもあり、日本人の旅行客(バックパッカー)が多かったです。
僕はあまり集団行動が好きではないのですが、誘われたので6人で地元のレストランに行きました。
ペルーは路上にシートを敷いて空き缶を置いてるホームレスの人が多かったです。
日本だと空き缶置いてはいけないんですよね。乞食行為は犯罪なので。
レストランでオーダーをしたあとに、赤ん坊を背負ったお母さんが入ってきて、テーブルを回っていました。
このお母さんは客ではないのですが、お金を恵んであげている人も中にはいました。
僕が「これも何かの縁」と感じて財布から小銭を出そうとしたら、
「しなくていい! つけあがるから!」
ってグループにいた女(あえて敬称なし)が言ったんですね。
絶句しましたね。
日本人って親切な国民性とか言われてますけど、僕が海外旅行を2回して感じたのは「どケチ」ってことでした。
とにかくお金を出したがらないのです。ろくに現地語も勉強せずに「ディスカウントプリーズ、モアチープ」とか言って、適正価格以上に値切ろうとする。
恥ずかしいからやめてくれと思います。
外国だとホームレス=物乞いなわけです。
実際に乞わなくても空き缶に小銭入れたりはできます。
日本だとホームレスは乞食行為ができないので、それも一般市民から切り離されてる原因の一つです。
もっとも最近聞いた話だと、幼稚園の女の子とお母さんが歩いてて「あの人なんであそこにいるのー?」って女の子がホームレスの人のことを言ったら「見ちゃダメ!」ってお母さんが言ったとか。
じろじろ見るな!って意味ならわからなくもないですが、ホームレスは触れてはいけないものという位置付けになってしまってるのです。
さて、僕が好きなホームレスのエピソードを2つ挙げて終わりにします。
僕の好きなホームレス①『タンポポ』
一つ目は伊丹十三監督の『タンポポ』という映画。
ゲラゲラ笑えて大好きな映画なのですが、この中にホームレスのキャラクターがいます。
売れないラーメン屋の女店主(宮本信子)を励ますためにトラック運転手(山﨑努)が美食家のホームレス(加藤嘉)らに引き合わせるのです。
すると、
いろんな店の路地裏で残飯をもらってるホームレスは意外と舌が肥えてるので、どこどこの店がおすすめだよ!とか教えてくれるんですね笑
昔はハンバーガーショップやコンビニが期限切れの食品をホームレスに提供していた時代がありましたよね?(勘違いかな?)
いまは食中毒になっても困るからやめてしまったのでしょうが(それに企業イメージが下がる)。
当たり前のように同じ土俵にホームレスがいたんですよ。
僕の好きなホームレス②『美味しんぼ』
こちらもやはり山岡さんがホームレスにおすすめの料亭を教わりにいくんです。
第1巻の「平凡の非凡」というエピソードで、のちのメインキャラ岡星さんの初登場回です。
こちらで感動する(というか、ちょっと驚く)のは、山岡さんが手土産に日本酒の一升瓶を持っていくんです。
手土産! 昔は当たり前にありましたよね。
最近は編集者さんが作家志望の人に風呂敷包みを持ってこられて、あまり読みたくないけど手土産もらったらなぁと思って風呂敷開けたら原稿だったっていう笑えない話もあるくらいですから、手土産なしで人に物を頼む時代になりましたね😅
ホームレスなんだからタダで教えてもらって当然、ではなく、教えてもらうんだから手土産持参。
そして、山岡さんはみんなで車座になって昼からお酒を呑んでしまうのです。
おわりに
このようにホームレスはもともと社会の中に存在している人たちだったのです。
社会復帰も何もない。寝てるだけでも社会参加になってます。
ホームレスへの風当たりが強い今の社会で、世間の冷たい視線に晒されながらビッグイシューを売ってるおじさんを見たら応援したくなりました。
とはいえ、450円はそれなりに大金です。
でも、徳を積むという気持ちでやってます。
そういえば、僕はゲイ(バイ?)なのでTwitterで若いゲイの人のツイートを見たりしますが、昔より圧倒的に美形でお洒落な人が増えました。
芸能人と遜色ない感じです。
でも何というか、冷たい顔が多いんですよね。
クールと言えばそうなのかもしれませんが。
優しい顔って、いくらメイクやファッションを頑張っても作れません。
日々の徳の積み重ねだと思います。
以前の職場の上司に「○○さんは誠実ですよね」と言われてびっくりしたことがあります。
「優しさ」は世の中に溢れてると思うんですよ。
好きな人とそうでない人で態度を使い分ける「優しさ」だってあるでしょう。
でも「誠実」はもっと深いところにあります。
急拵えでは作れません。
だからこそ、普段の行いに気をつけていたい。
今日、ビッグイシューのおじさんの前を早足で行き交う若い人たちを見て、思いました。
彼らはホームレスと話したことがあるのだろうか?
と。