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諦める自分像⑤ 細かい気配りができる
メンタルの平穏を維持するうえで、「諦める自分像」というものを定めている。
それは、自分はこういう人にはなれないし、無理して目指さなくていいと自分で認める在り方だ。
この考え方を取り入れることで、無駄な努力をせずに自分らしさを守ることができる。
5つ目は、こちら。
⑤細かい気配りができる
よく「気が利く人」っていますよね。
自然と困っている人をさりげなく助けてくれるタイプの人。
余裕がある雰囲気を漂わせ、気さくに人に声をかけたりして、場の空気を和らげる。
そういう人は、見ていて正直カッコイイと思うし、仕事ができるようにも見える。
実際、そうしたタイプの人は上司や同僚からの評価も高く、周りから頼りにされることが多い。
自分もこれまで、そういう「気が利く人」に何度も助けられてきた。
職場でもプライベートでも、彼らのおかげで救われたことが多い。ミスチルの有名な歌の歌詞にある「心ある人の支えの中でなんとか生きてるいまの僕です」。まさに、そんな感じ。
そんな「気が利く」人間になろうと、後輩が増えてきた時期に無理してそのキャラを演じようとしたことがある。
だが、やはり続かなかった。
もともと私は、細かい気配りができるタイプの人間ではない。
器用ではないし、無理をしていると周囲に見透かされてしまう。
性格まで変えてまで自分を演じ続けることは無理だ。無理をすること自体が心の負担になってしまう。
だから、開き直った。
自分は気が利く人ではない。
だからこそ、自分の直感的に「こりゃ、声をかけなきゃイカんやろ」と思った事柄については、自分の直感のままにアクションをするようにしている。
例えば仕事において、誰かが進めているタスクの中で明らかに考慮漏れがあることに気がついた場合、それを伝える。ちょっとした誤字脱字も、どうでもいい資料じゃなければ作成者にコソッと伝える。
プライベートにおいても、電車で忘れ物をした人に気がついたらすぐに声を掛ける。
些細かもしれないが、そういったことはやるようにしている。
私のような、気が利かない人間でも気づくくらいなら、相手は本当に困る可能性が高い。
また、声をかけてみて相手に断られる、もしくは余計なお世話だと思われたとしても、それはそれで問題ない。
こちらは何かを失うわけでもないし、後々引きずることもない。むしろ、自分の中で何かに気づいていながら行動に移せなかった時の方が、後で心に残ってしまう。
自分が気づいたことにはアクションを起こす。それでもし相手がノーサンキューなら、それは相手の問題であって、自分が気に病む必要はない。
自分ができる範囲で動き、それ以上は他人の領域に委ねる。
「細かい気配りができる自分」を諦めたことで、無理せず自分らしく生きられるようになった。
自然体で、自分が気づいたときにできる範囲で行動する。それで十分だ。