諦める自分像⑨ 明るく雑談を人に振れる
メンタルの平穏を維持するうえで、「諦める自分像」というものを定めている。
それは、自分はこういう人にはなれないし、無理して目指さなくていいと自分で認める在り方だ。
この考え方を取り入れることで、無駄な努力をせずに自分らしさを守ることができる。
9つ目は、こちら。
⑨ 明るく雑談を人に振れる
仕事の場で「雑談」が重要だということはよくわかっている。
適度な時事ネタや芸能ニュース、休日の出来事などを話題にし、うまく会話を成立させることは大切だ。
自然に雑談ができる人は本当にすごいし、努力してこのスキルを身につけた人はさらにすごいと感じる。
世の中には「雑談力」を高めるための自己啓発書も多く、そういったスキルを求めるビジネスパーソンも多いのかもしれない。
だが、雑談力とはその人の総合力ではないかと思う。その人が持つ知識をベースとして、何でもない情報の扱い方や日常の感受性、空気を読む力、そして言葉のキャッチボールをする力などが求められる。
さらに、例えば旅行の話題なら、どんな土地を選んだのか、どんな観光地をどんな計画で巡ったのか、といった計画の段階の話も含まれることになり、かなり、その人の人となりが表面化してくる。
だから「雑談力」という言葉で単純化されるものではなく、その人の「生き方」が根底にあるものだと思う。
口下手でも、個性的な生き方をしている人や深い考えを持つ人の話は面白い。
一方、話し上手でも表面的な生き方しかしていない人の話はあまり惹かれない。
もし「雑談力」を追い求めると、後者のような人になってしまうのではないだろうか。
そう考えるからこそ、私は「明るく雑談を振る」というのを目的化しないようにしている。
というかそもそも会話が得意なわけでもないので、無理にやろうとは思わない。諦めている。
とはいえ、こういったことが得意な人は純粋に尊敬する。
同じチームにこのタイプの人がいれば、雰囲気は確かに良くなる。だからこそ、雑談で場を盛り上げる役割は得意な人に任せてしまおうと割り切っている。
自分は本や新聞を好きなように読む。ただ、触れる情報に対して自分なりの考えを持つようにはする。
そうすることで、結果としてそれが自分の視点となって話題が生まれる。
話題がないときは、無理せず黙っている自分でいいと割り切っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?