コースケコーチの出来るまで。4
早いものでnoteをはじめて4日目だ。
しかし一向に幼少期から抜け出せない…。
野球をはじめる所にたどり着かない…。
この際だから言って置くけど、僕が野球を始めたのは小学3年生の終わり、4年生になりそうな時だ。
このペースだといつ僕の野球人生は始まるのだろう…。
そして見て下さってる方は僕の野球人生に関わった親父の更なる爆裂ぶりに耐えられるのだろうか ?
お笑い芸人ではないが…。「安心してください。生きてますよ…。」なので飽きずに落ち着いて見て欲しい。
僕の話に戻すと、前にも言ったがこの頃に団地で良く遊んでいたのは近所の女の子達だ。
これは、近所に女の子しかいなかったのではなく母が仲良くしていたママ友達の子供が女の子ばかりでその影響で遊んでいた訳だ。
男の子の同世代も当然いて、僕はその子達に良くバカにされていた。
「女としか遊ばない」事をからかわれそれを名前の「コースケ」にかけて「コースケべ」なんて言われていた。
そんなのを親父に見つかると「言われっぱなしで帰ってくるな!悔しくないのか?喧嘩してこい」って怒鳴られた…。
そんな時事件が起きた。
近所で一番大きな「近隣公園」野球場やテニスコート、ランニングコースに遊具はブランコや滑り台だけでなく簡単なアスレチックがある公園だ。その一画に白い家の形をした遊具があった。
その白い家の外壁にスプレーで僕の名字の上野と例の「コースケべ」つまり「上野コースケべ」とピンポイントで悪口を書かれた訳だ。
それを確か仲の良かった女の子達が見つけてわざわざ知らせて来たのだ…。「日曜の昼間親父がいる我が家へ…。」
親父は「見に行くぞ」顔を真っ赤にして言った。
「また怒鳴られて殴られる」この世の終わりの様な思いで歩いて5分位の公園に行った。
聞いた通り「上野コースケべ」結構な大きさで書いてある。見事な犯罪行為なのだがまだ時代は「昭和」良くも悪くも世間は寛容である。
寛容でないのは親父だけだ…。
一度家に帰り、親父が乗っていた白のフェアレディZの傷消しに使っていた白いスプレーとブラシとバケツを持ち公園に落書きを消しに行った。
親父は黙っていたが明らかに怒っていた。
僕に怒っていたのか落書きに怒っていたのか、あるいは両方なのか…。ただ覚えているのは親父の手が届かずなおかつ「遅い」って怒鳴られない絶妙な距離を取って歩いていた事と公園に着き親父が白のスプレーで消しているときブラシで落ちもしない落書きを擦っていて「ナメられたまま帰ってくるからだ!」と結局怒鳴られて頭をはたかれた事だ。
正直幼稚園(2年保育)に入ったか入らないか位の出来事でその後の事は思い出せない。
でも、落書きをしたメンバーが後にチームメイトになりバッテリーを組んで中には今も付き合いがある人がいるのだから「野球」って言うスポーツの力を感じる。
※写真は住んでいた近所です。