コースケコーチの出来るまで。3

昨日語った様な出来事がありながら僕は無事生き抜いていた。

記憶があるのは3歳位からで多分、写真の頃がそうだ。
覚えているのは団地に住む近所の女の子達と良く遊んでいた事で休みの日は団地のポストから「○○ちゃん遊ぼ~」って叫んで家に上がり込んで○○ちゃんのママが着替えて化粧する横で遊んでいた。
買ったばかりの三輪車が盗まれたのがショックで次に買って貰った三輪車は盗まれない様に三階に住む友達の家まで引きずって上がって行くような子供だった。

この頃の僕は写真にある通りトミカ大好き少年だった。大半を親父が仕事帰りに毎日1つずつ買って来てくれた。
親父に心を開かない僕の気を引こうとやっていたらしい。

何故心を開かなかったか…。はっきりと覚えている訳ではないが、僕は子供の頃、親父がとても怖かった。
仕事から帰って来てお風呂が沸いてないと母を怒鳴るし、ビールが冷えてなくても怒鳴る、ヘルメットを買って貰って報告したらヘルメットをかぶった頭を思いきりひっぱたかれるし、酔って乗っかって来たから「重いよ~」って言ってたら何故か投げられた事もあった。

ジャイアンツが負けるとテレビに怒鳴って、しまいには読売新聞社に怒鳴りながらクレームの電話をしていた。
おかげで僕は自分が野球をやるまでテレビで野球を見るのが嫌いだった。そして原辰徳選手と王監督が嫌いだった。何故ならいつも親父が「この野郎!原!いつ打つんだよ」「王!原はずせよ!」って言ってたから。幼心に「ハラセンシュ頑張って」「オウカントク、ハラセンシュを外して」って思ってた。

書き出してみてもむちゃくちゃだ(笑)
それも、エピソードの一部なんだから強烈過ぎる。

そんな野球を見るのが嫌いな僕が野球をはじめるのだから人生は不思議なもんだ。

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