コースケコーチの出来るまで。5
これまで母の愛情と親父の理不尽さを一身に背負って来たコースケ少年だが、5歳の時に弟が出来た。
母が入院中は母の実家である祖父母の家にずっと一人で泊まっていた。
幼稚園児が一人で良く10日位泊まれたな…。とも思いそうなものだが、母と親父は僕が生まれてすぐ半年程別居している。理由はまた後に話す。
そして、初孫だった僕はその半年間祖父母、叔母、叔父に滅茶苦茶可愛がられ、母と親父が別居を解消しても母の実家がチャリで行ける範囲だったので年中、甘やかされに行っていた。
だから母が入院している期間は理不尽な怒りに触れる事もなく平和で快適な生活をしていた訳だ。
母は僕を産むときに帝王切開をしているので弟を産むときにも帝王切開だ。
母が手術室に入ってしばらくして赤ちゃんの泣き声が聞こえて看護師さんが赤ちゃんを見せに来た。
僕は兄弟が出来た嬉しさと生まれたばかりの赤ちゃんをはじめて見た事に興奮していた。
興奮して親父に「赤ちゃん小さくて可愛かったね!」と言った。
親父は「そうか?俺子供嫌いなんだよ」と真顔で言った。
僕はあの時の感情を今でも覚えている。
「何を言ってるのだろう?」ではなく「だからか…。」妙に納得をしたのである。
その後は親父の機嫌を損ねない様に無言のまま待っていた。
でも…。いつまで経っても母は手術室から出てこない…。そのうち看護師さん達がパタパタ走って手術室を行ったり来たりしていた。
当時はわからなかったが、後になって母は帝王切開での出産で死にかけていたらしい…。低血圧だからか、2度目の帝王切開だからなのか、お医者さんが下手だったのか…。理由はわからないが死にかけていた。
今も心から思うけど、母が死ななくて良かった。「子供が嫌い」って宣言した親父と生まれたばかりの弟と残されたら大変な事になっていた。
「子供は嫌い」だが「子供を作る」行為が好きな親父は今や7人の孫を持つ「ジジ」で 僕の4人の子供達を滅茶苦茶甘やかしている…。
※写真は近隣公園