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コースケコーチの出来るまで。14

親父が野球に関わりはじめて「野球一家」になった上野家…。
五年生の秋…僕はキャッチャーにコンバートされた。
以前話した「HISASHI」君とバッテリーを組む事になったのだ「HISASHI」君は地域で有名な投手でボールも速かった急造キャッチャーでは後ろに逸らす事も多く迷惑をかけた。チームの監督は「このチームはコースケと心中だ」とひと冬かけて鍛えるプランを考えてくれていた。
考えてくれていただけなら良いんだ、グランドでいくら鍛えても良いんだ。でも…監督はよりによって親父にそれを話してしまった…。
この言葉にさらに火がついた親父はいっそう僕の事をしごいた…。
親父との練習についてきていた弟は、ボール渡しをしているだけなのに号泣しながらボールを渡していた…。
小学5年生の僕に大の大人が「ごらぁ!捕れ!」と近距離でノックをしたり3~4mの距離から防具など着けていない僕に硬球を投げつけている。
その横では小学1年生の弟が号泣している…。

今なら間違いなく通報されているだろう…。
そもそも良く生き残った…と思うだろう?

正直、「そこに座れ」って言われた時は「殺される」「この人は僕を殺す気なんだ!」って思って号泣し拒否した。
しかし、「うるせぇ!座れって言ってるんだ!」と2~3発ぶっ飛ばされた時点で拒否しても殺されるかもしれない…と諦めた。そしてヒクヒクしながら座った。
その僕に親父は硬球を思い切り投げつける。はじめは避けてた。でも途中で「あれ?結構余裕で避けれる」と思ったから捕れるかも…と思いリリースに集中しミットを出した。「パスッ」とミットにボールが収まった。
「こりゃ捕れるな」と思い次々と捕れる。
今思えば親父は草野球しかやっていない。思い出せば投げ方も良くはなかった…。そんな速いボールを投げれる訳はないのだ。僕の長男もキャッチャーをしているが野球をガッツリしてた僕が長男にその練習をしたら大怪我をさせてしまうだろう。

当時の僕は親父が恐ろし過ぎてその恐怖心に負けていたのだ、その後もその練習は度々あったが恐怖心に打ち勝った僕は、内心鼻歌混じりでその練習をこなした。その気持ちを隠しながら…余裕で練習をこなしているのがバレたらもっとひどい目に合うのは火を見るより明らかだ。

そんなこんなでもうすぐ6年生だ。
それではまた。

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