龍野一雄が主張した「統計」

以下は総務省統計局のページを元に書いた。物事を数量にし、統計解析して判断するという手法の歴史は、実は非常に古い。この概念は、大きく以下の3つに分けられる。

1.国の実態をとらえるための「統計」

2.大量の事象をとらえるための「統計」

3.確率的事象をとらえるための「統計」

1は、古くは古代エジプトの時代に遡り、紀元前三千年前、「ピラミッドは建設可能か?」を統計調査に基づいて判断した。

2の大量の事象をとらえるための「統計」は17世紀、イギリスののジョン・グラント(1620年-1674年)から始まるとされる。彼は教会が残していた死亡者数の記録から、当時概ね200万人と考えられていたロンドンの人口を、約38万4千人だと割り出した。

3の確率的事象をとらえるための「統計」の歴史も古くは16世紀イタリア人カルダーノに遡る。また、パスカルとフェルマーはサイコロ賭博について数学てな考察を行い、それを所管の形で意見交換した。18世紀に入り、ベイズ(Thomas Bayes 1702年-1761年)、ラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange 1736年-1813年)、ラプラス(Pierre-Simon Laplace 1749年-1827年)といった一流の数学者たちの研究を経て大成した。

確率論の統計への応用としては、ドゥ・モアブル(Abraham de Moivre 1667年-1754年)の年金論、D.ベルヌーイ(Daniel Bernoulli 1700年-1782年)による天然痘の罹病率、死亡率の計算などがある。オイラー(Leonhard Euler 1707年-1783年)とラプラスは抽出調査を基にした全体の推計方法を考案し、それはフランスの人口の推計に応用された。

このように、実は医学においても統計はかなり早くから導入されていた。だから1941年に龍野一雄が「臨床の治療は量にして統計で判定すべきだ」と主張したのは別に不思議ではない。

しかし、「治療効果を統計で判定する」という概念はずっと新しかった。医学の治療介入の有効性は、その後も長く基礎研究を元に決められていた。例えば未だに第三世代セフェムの経口抗生物質がその有効性を認められ続けているのもその名残だ。第三世代セフェムはシャーレの中に培養した細菌は破壊するが、経口投与しても殆ど腸管から吸収されないから、臨床的な有効性は少なくとも日常臨床の中では期待出来ない。それは、例えばフロモックスをプラセボと比較して統計解析すれば「向こうだ」という結果が出るはずだ。しかしそういう企業にとって不都合な研究には誰も研究費を出さないから、実施されない。だから未だにフロモックスは保険適応されている。なぜならいったん認められた効能効果を否定するための臨床研究が出来ないからだ。

ともかくこうした歴史を知っている人物であれば、1941年に「治療効果は量にして統計で判断すべきだ」と主張することは可能だった。おそらく龍野一雄はその一人だったのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!