「膿胸の想い出・・・上司の評価なんか当てにならないという話」
とある老人病院に勤務していたとき、患者が肺炎になった。老人病院に入院しているような高齢者が肺炎を起こすのは日常茶飯事なのだが(大抵は誤嚥性肺炎)、その患者の肺炎はどうも様子が違った。抗生物質を連日注射しても高熱が続く。そもそもフレイルな(体力が弱った)高齢者の肺炎は、そんな高熱は起きない。一日熱が上がっても、すぐ下がってしまう。熱が下がったから肺炎が治ったのかというと、そうではない。要するに身体の免疫応答が細菌感染に負けてしまって、発熱出来ないのだ。
ところがその人は、抗生物質を注射しても高熱が続いた。どうも変だ、とCTを撮ったら(何故かその老人病院にはCTがあった)原因が分かった。肺炎ではなく膿胸だった。
胸腔の感染症には三つある。肺炎、膿胸、肺膿瘍。肺炎は抗生物質を注射するだけだが、膿胸や肺膿瘍は要するに胸腔内に膿が溜まっているので、その膿を掻き出さなければ治らない。何故なら膿の中に抗生物質は浸透しないからだ。
さて困った。そこはど田舎の老人病院だ。町の病院に相談したが、治療はつれなく断られた。「年齢が年齢だし、ADLも寝たきりだし」というわけだ。まあ、御説ごもっともである。それで家族を集めて病状説明したら、なんと「どうにかしてくれ」という。いやどうにかしてくれと言っても,膿胸ってのは胸に管を刺して中の膿を掻き出さなきゃならないんだが、その人は非常に高齢な寝たきり老人だから、そういうことをやっただけで死んでしまうかもしれない。それにそういうことを試みても上手く行くかどうか分からないし、仮に上手く行っても患者が助かる保証は無い・・・と言うことを縷々説明したのだが、
「お願いします」。
覚悟を決めた。院長、病棟師長、事務長と話し合い、家族に念書を取った。その上で私はエコーを持ってきて,膿胸部位を確認し、局所麻酔をしてブスリとべニューラ針を刺した。無論この作業は医者一人では出来ない。二人でやる。一人がエコーを当てながらもう一人(私)がそこに針を刺したのだ。
膿胸の場合、通常であればトラッカーという管を入れるのだが、その人は非常に体格が小さな老人で、かつ膿胸もそれほど広範囲では無かった。だから私は敢えてトラッカーでは無くベニューラ針を刺したのだ。これは針の中では太い奴で、通常人体には刺さない。薬液を吸い込むときなどに使う。しかし膿胸に刺して膿を出そうと言うときに21Gなどでは細すぎるから、私はトラッカーでも無く21Gの針でもなく、ベニューラ針を刺した。そうしたら中から膿がドロドロ出てきて、出終わった頃に逆に外から生理食塩水を入れて何回も洗った。頃合いをみて針を抜き、仮縫いを一糸かけて翌朝まで様子を見たら、翌朝にはストンと熱が下がっていた。
まあ、これはたまたま上手く行ったのだ。いくら家族に懇願され、念書を取っても、いざ失敗すれば家族は必ず裁判を起こす。世間とはそう言うものだ。だから私はその晩、睡眠薬を飲んでも眠れなかった。2回ほど病棟に電話して患者の容態を確かめた。
ところがその病院は、あるとき系列の診療所で患者がさっぱり来ないときに私が居眠りをしたという理由で、理事長が私を追い出した。そこは理事長がオーナーの医療法人で、院長も事務長も何の権限もなかったが、そのような危険な橋を渡ってまで私が患者を助けたことは一切評価の対象にならず、「患者がさっぱり来ない外来で居眠りをした」という理由でお払い箱になった。
トップの評価なんか、全く当てにならないものだ。まして患者の評価おや。その理事長は少なくとも元外科医だったくせに、そういう危険を冒してまで患者を救った私の診療は一切評価せず(おそらく理事長にはその一件は伝わっていなかったのだろうが)、私が患者が来ない外来で居眠りをしたという理由で首にしたのだ。
だから私は皆さんに言うが、職場で、あるいは上司に正当に評価されないなんて事はいちいち気にしなくて良いです。どうせ上司なんか、あなたのことをきちんと正当に評価なんかしてないから。