石油文明の終焉・世界のエネルギー問題と食料安全保障

火力発電が今世界的に石油から石炭に動いています。それを是正するという国際合意が為されましたが、電力会社は各国で反対を唱えています。何故なら、コスト面を考えて採掘可能な石油が尽きるのが目前に迫っている反面、石炭はまだコストに見合う額で採掘可能だからです。


かつて石炭が石油にとって変わられたのは、中東の原油採掘が極めて簡単で、コストが極めて安かったからです。20世紀初頭、中東の石油採掘はエネルギー比率でみて200倍、つまり採掘するためのエネルギーの200倍のエネルギーが得られたのです。だから石炭は石油にとって替わられました。蒸気機関車がなくなってディーゼル機関車になり、電化されたのはそういうことです。


しかし今、そういう採掘が容易な石油はもはや限界を迎えようとしています。いま、中東の原油採掘はコストの限界とされる3.3に近づいています。これ以上の採掘は、超深度だったり海底油断だったりして、コストに見合わないのです。そうすると、「今や石炭の方がコストが見合う」ということになったのです。

しかしながら、石炭でも石油でも天然ガスでも、いずれ化石燃料は枯渇します。だから各国は競って「再生可能エネルギー」にシフトしようとしています。しかし再生可能エネルギーは電力しか作れません。火力にならない。


そこで、中国は大胆に電気自動車に舵を切ったのです。ガソリン車はいずれガソリンの元となる原油が採掘出来なくなるから近い将来消滅する。だから電気自動車で世界のシェアを占めるのがよい、という戦略です。



かつて京都議定書の頃、アメリカ、中国、インドはこぞって背を向けました。それが今や、一斉に電気自動車、再生エネルギーに方向転換を図っています。表向きは「温暖化対策」と言いますが、実はそうじゃない。中東の原油採掘がコストに見合わなくなるのが目前に迫っているからです。アメリカでは一時期「シェールガス革命」がもてはやされましたが、あれも結局アメリカ一国レベルですらコスパに見合わないという事が分かり、尻すぼみになりました。だからかつて京都議定書に背を向けていた大国が一斉に再生可能エネルギーに舵を切ったのです。そもそも、地球規模の温度がどうなるかなんか、1つの因子で解析出来るわけがないです。地軸とか、太陽から来るエネルギーの変動とか、想像もつかない因子が入ってきます。「温暖化」というのはあまり根拠がしっかりした話ではない。しかし「中東の原油採掘がまもなく採算に合わなくなる」というのは目前の現実なのです。



しかしその電気はどうやって作るのでしょうか。



火力発電に次ぐコスパがよい発電は原発だとされてきました。しかしあのフクイチをみて、全世界が密かに考えを改めました。原発は事故のコストが凄まじいのだということを悟ったのです。



問題は2つあります。



原発でないとすると、再生可能エネルギーとしてはメガソーラー、大規模風力がコスパ的に一番実現可能性があります。なお水力はもっとも古くから行われていますが、これ以上ダムを造るのは難しい。波力というのはまだまだ研究段階です。



メガソーラーは山を破壊するという反対の声がある。尾根に風力発電の風車を作ると渡り鳥がぶつかると言って反対する人がいる。

しかし、家々の屋根に太陽光パネルを付けても、たいした発電力にはなりません。その家の電力はまかなえるでしょうが、一国のエネルギーをどうにか出来るような発電能力はない。



海上風力発電が良いという人がいますが、海上風力発電は塩による腐食やケーブル設置やそのメンテナンスなど、地上風力の2倍コストが掛かります。潮力発電もそう。海の水、つまり塩水に晒されるというのは、多大な維持コストになります。コストって、最終的には我々の電気代になるのです。



地熱発電が良いという人が多い。日本は火山国ですからね。しかし火山はそもそも危険です。いつ噴火するか分からない。そういう所に発電所作れるだろうか。安全でかつ地熱発電が可能な土地は、日本ではもうほとんど温泉になっています。そういう所に地熱発電所を作れば、それは従来の温泉街の死活問題になります。明確な根拠もない「リニアモーターカーで静岡の水源が涸れる」と主張する人が「地熱発電は温泉と共立出来る」と言い張る根拠が私には分からない。



さらに大きな問題があります。再生可能エネルギーが作れるのは今のところ電力だけです。しかし巨大シャベルカーとかダンプとか、さらには大型船や大型旅客機などは、電力では無理です。エネルギーとして不十分なのです。



一方これはまさに食料安全保障に関わる問題でもあります。日本の食糧自給率を上げようとすれば、どうしても大型農業機械は不可欠です。トラクター、耕運機、収穫産物を運ぶ大型トラック、そのトラックが走れる整備された道、大規模潅漑等々がなければ今の農業は成り立ちません。これらは、全て石油を使えるから可能なのです。戦後すぐ、石炭バスというのがありました。私の祖父母が目にしたものです。お話にならないほど、のろかったそうです。石炭では大型自動車は動かせないのです。特に重量を運ぶ大型トラックは、石炭や電気で走らせるのは無理です。まして旅客機やら国際航路の船を石炭で・・・無理です。



そればかりでなく、今世界の農業が世界人口を維持出来るほどの生産力があるのは、「空気に含まれている窒素を固体にして土地に撒く」ボッシュ法という技術が20世紀初頭に開発され、化学肥料が実現したからです。化学肥料というと「まあ怖い」という奥様方がいますが、あれは要するに空気中の窒素を固体化して地面に撒くということです。それで、荒れた大地が広大な農地に替わった・・・全世界でね。しかしこの方法は、どうしても化石燃料を必要とするのです。ボッシュ法の原法は石炭を使いました。しかし今は石油を使っています。それは石油の方が石炭よりコストが安くなったからです。しかし石油が尽きるのであればもともとのボッシュ法に戻って石炭でやることになるでしょう。実は今日まで、原理としてはボッシュ法以外に空気中の窒素を固体として捕まえて肥料としてまく方法は開発されていません。



むろん、家庭菜園をやるのはご自由です。それは社会的な問題ではない。日本の食糧需要をまかなうためには、いや地球人口をまかなうにはという視点から論じれば、大規模農業が必要で、それにはすきやくわ、牛に耕せますではだめなのです。しかしそう言う大規模農業に必要な耕運機、種まき機、トラクター、大型トラック、さらにはビニールハウスの温度管理、アスファルトで舗装された農道や高速道路・・・これらは現在の技術では電気では動かせないし作れません。だから再生可能エネルギーで電力をまかなえたとしても、それだけでは農業は立ちゆかない、と言うことになります。



20世紀というのは一言で言えば「石油と戦争の世紀」でした。石油が無尽蔵に取れたから全盛かが豊かになり、そしてその石油を使って爆撃機やミサイルや戦車や空母が作られ、戦争が行われた。



しかし今、その石油が枯渇しようとしており、当面石炭と天然ガスである程度代替え出来るとしても、そうした化石燃料はいずれ終焉を迎えることがはっきりしたのです。我々は今、そういう地平に立っています。

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