心療内科というもの

長年漢方などという得体の知れないものを学問にする、エビデンスを作るとやってきた私が、「こいつはどうも、まったくEBMには乗らない」と諦めたものがある。心療内科だ。



心療内科ってのは、要するに人生の苦労を扱う科だ。精神科と違う。精神科は内因性うつ病、統合失調症という、ある程度均質化が可能な対象を持っている。内因性うつ病や統合失調症も、当然外界の影響を受ける。しかしそれは本質的に内因性であって、だからこそある程度均質化が可能だ。


しかし心療内科が「人生の苦労」を扱う限り、それは均質化出来ない。均質化出来ないから、EBMには乗らない。以前も指摘した通り、EBMは元々臨床疫学に端を発しており、ある程度均質化が可能な集団に対して統計的最適解を出すというのが原理だからだ。



人生の苦労というのは均質化出来ないと言ったのはトルストイだ。アンナ・カレーニナの冒頭、有名な一行。



「幸福な家庭は全てお互いに似通っているが、不幸な家庭はどこもその趣が異なっている」。



これが全てだ。人間の不幸、特に人生の不幸は均てん化出来ない。その人の不幸はその人だけのものだ。人それぞれ、不幸は違う。だから人生の不幸を扱う心療内科はEBMにのらない。これはEBMとはそもそも何かを考えれば分かる。均てん化出来ず、統計的に処理出来ないものは、EBMには乗らない。心療内科をEBMでやろうとしたら、単に治療に失敗するだけだ。



もちろん、まったく馬鹿らしいレベルのことならEBMに乗せることは出来る。例えば先日私が書いた「頭痛、めまい、吐き気、腹痛、下痢、不眠はメンタルだ」という命題であれば、そういう症状を持つ集団を対象にして、どれほどメンタル素因が強いかデータ化するのは可能だ。だがそれは「今朝起きたらゾクッと寒気がして、頭痛がして熱が37度ある」という集団を集めてその診断が風邪である確率を計算するのと同じぐらい無意味である。そんなことはなにも2年掛けて臨床研究しなくても、半年心療内科をやれば分かる。半年で分かることを2年掛けて研究しなくて良い。そうすると、心療内科にはEBMに乗せるべき内容が無い。



私は今心療内科をやっている。しかし私の心療内科は完全な自己流だ。だが「では自己流で無い心療内科というものはそもそもあるのか」と言われたら、私は「それはない」と思う。もしマニュアルや教科書に従って心療内科をやったら、それは患者の症状の数だけ薬を積み上げるだけになるだろう。西洋薬だろうが漢方薬だろうと同じだ。心療内科が扱うのが人生の苦労と悩みである以上、心療内科医はそれを受け止められるだけの人生を経ていなければならない。人生順風満帆、皆から愛されて幸福な家庭を築きましたという人は、多分一生掛かっても心療内科は出来ない。100冊教科書を読んでも無駄だ。人生の教科書は無い。



医学に数あれど、どうやら心療内科だけは何処をどうやってもEBMには出来そうに無い。


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