![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/158815758/rectangle_large_type_2_9a0299c48523150726bd92f622df80af.png?width=1200)
鍵っ子・繊細さと無神経
今日の晩飯は堅焼きそばだった。そこから話題はだんだんに食用油の話になった。そこで、途中まで穏やかに団らんしていた私と相方の会話は口論に変じてしまった。
そう言えば、と話を切り出したのは私だ。私の父親は私が12歳(小学校6年生)の12月に家を出ていったから、突然私は弁護士の息子という社会的立場から、シングルマザーの家庭の鍵っ子になった。父の2度目の浮気を責めて父を追い出したのは母だったから、私と弟二人の息子に飯を食わせる責任は、母にあった。父が子供二人の養育費を毎月いくらと送るようになるまで、二人の間の感情のもつれが絡み、父の知り合いの弁護士数名が中に入っていわば無料の「調停」が成立するまで、1年は掛かった。その間は、母は一人で我々兄弟に飯を食わせたのだ・・・当然の報いだが。
母は元々英語教師の免許を持っていた。正確に言えば、中学校教師の免許を持っており、高校の英語も臨時講師としては教えることが出来た。しかし、どこかの中学にいきなり常勤として勤めるのは難しかったらしく、彼女は生命保険会社で外交員をやった。所謂「保険のおばちゃん」だ。保険のおばちゃんとして母はかなりの能力を発揮し、少なくともシングルマザー家庭が充分食えるほどの収入は得ていた。しかし、彼女がそれだけの収入を得るには、私と弟は鍵っ子にならざるを得なかった。帰宅しても母はいない。母が帰宅するのは毎晩8時過ぎだ。だから夕食は、冷凍物をレンジでチンするか、冷凍の揚げ物を油で揚げる。あの頃はそうやっていた、と私が言い出したところで相方が「油物は油の処理が大事なんだ」と言い出したから、私に火が付いた。
「黙れ馬鹿者。お前は、食用油の処理については繊細かもしれないが、中学一年の私が冷凍食品を自分で揚げて自分と弟の晩飯にしたという私の人生の物語については、完全に無神経だ。今お前は私の人生の記憶を土足で汚したのだ」と決めつけた。
これについて、私は反省すべき点はないと確信する。揚げ物に使った油なんか、中一の私はそのまんま排水口に捨てていた。揚げ物に使った油をいちいち適切に処理するなんて事は思いも寄らなかった。考えもしなかった。しかしそれがなんだというのか。
突然弁護士の父親が家を出ていき、母親は生活費を稼ぐために毎晩夜遅くなるまで帰ってこなくなったから、中一の私が冷凍物を油で揚げて食い、弟にも喰わせたという話をしているときに「揚げ物に使った油はきちんと処理しなければいけない」と言い始める人間は、最低の馬鹿だ。死ねば良いのだ。子供が必死に生き抜いた話に、適切な廃油処理を持ち出すんじゃない。
馬鹿が!