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川崎病発見の顛末
川崎病というのは1967年に小児科の川崎富作先生が最初に報告した原因不明の病気です。「へぼ医者のつぶやき」という柳瀬義男先生のエッセイ集に、こんなことが書いてありました。
川崎先生は川崎病発見を報じた論文にカラー写真を掲載した。これがものすごく高く付いて、川崎先生は以来奥様に顔が上がらなくなった」。
この話が事実だとすれば(おそらく事実だと思いますが)、高度経済成長期であったその当時から、日本という国は一切科学学術にまともな金は出さなかったという事です。
柳瀬義男先生が指摘する通り、もし川崎病発見の論文にカラー写真が載っていなければ、この論文はrejectされたかもしれないし、掲載されて様々ないちゃもんが付いたかも知れません。しかし「川崎博士がこのカラー写真を載せたことで奥様に頭が上がらなくなった」ということは、つまり当時日本という国はこの論文を出すとき絶対に著者が必要だと考えたカラー写真掲載の費用を出さなかったという事です。それで川崎博士は、自腹でその金を払ったわけで、それはもう、博士が奥様に頭が上がらないほどの大金だったのです。
日本国がちゃんと科学技術研究に金を出さなくなったのは最近のことのように言われますが、実は昭和40年代から育ったという事でした。
もうお終いだ、もうダメだ。