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【復刻版】わたしが公務員を辞めたわけ
【2023年1月「こぐまの解放日誌」より】
※閉鎖した前のブログの保存記事です。心境や状況下は当時のものになります。
こぐまは2022年3月末、20年以上勤めた職場を退職いたしました。
あっという間に早10カ月!
あの頃どんな気持ちだったのか、どうして辞めようと思ったのか、だんだんと自分の中の記憶も薄れてきてしまっているので、忘れないうちに書き留めておこうと思います。
誰かのためにという理想
こぐまの前職は公務員でした。公務員を志す者の多くが採用面接で口にするであろう言葉。
国民のために
県民のために
市民のために
社会のために
わたしもそんなことを面接で答えたような気がします。
(でもほんとの志望動機は、当時流行していたドラマを観て「ここで働きたい!」と思ったから、というのは内緒です)
公務員に限らず企業でもフリーランスでも、きっと初心を忘れずに持ち続けて働いてくことは難しい。実際「誰かのために」を実現することはもっと難しい。
長い公務員生活で「誰かのために」何かできたのかはわかりません。ただその時その時の最善を尽くして働いてきたつもりです。
何もない20代の私を採用してくれた元職場に感謝し、人生の半分以上の時間を働かせてもらえたこと、誇りに思っています。
「普通」という隠れ蓑
公務員という職業柄、それなりの制限もあり協調性も求められます。
前年どおり支障なく業務を進めることが大切であり、斬新な意見を求められる機会もほぼありません。
そんな職場でよく飛び交う言葉。
「普通はさ……」
わたしは常に「普通」であろうとしていました。
「普通」からはみ出ないように必死でした。
でも「普通」ってなんなんでしょうね。
誰が決めた「普通」なのか。
実際、本当に「普通」はそうなのか。
今考えればひどく滑稽ですが、何の根拠もない価値観に縛られ自分を大切にせずに生きてきてしまったようです。
長い間、そんなことをしているうちに「自分」が見えなくなっていました。
「使えない」というレッテル
自分で言うのもおこがましいのですが、もともと仕事はできないほうではありませんでした。でも2人目の産休の間に職場環境は変化し、育休あけとともに違う課に異動することに。
そして不安いっぱいで迎えた復帰初日。
「申し訳ないけど初めての仕事なのでしばらくは色々教えてください」
後輩に頭を下げたわたしに返ってきたのは「はっ?いちいち教えてられないですけど」という言葉でした。
慣れない仕事、久しぶりの職場に自分でも信じられないようなミスもしました。
そのうえ、こどもの発熱で突然の呼出やお休み。不思議なことに「今日だけは休めない」という日に限って……。体調の悪いこどもの心配よりも「明日の仕事どうしよう」と考えてしまう情けなさとの葛藤。
誰かに自分の仕事をお願いしなければいけないという申し訳なさ。
少しでも進めたい仕事への焦り。
「使えない」
耳に入ってきた言葉。
それは間違いなく、わたしに対する言葉だろうと確信してしまうくらい散々な働きぶりでした。
もがいても、もがいても抜け出せない罠にはまってしまったように、自分自身でも「使えない」レッテルを貼ってしまったのです。
もちろん業務は必死でこなしましたが、退職までの数年「仕事ができない」と自分を責め続けました。まわりから「よくやってる」と言われても「こんなはずじゃない」「もっとできたはず」って。
たぶん「自称・できる女」の変なプライドです。
どんなに業務が忙しくても、子どもたちのお迎えの時間がゴール。
いつも焦っていました。お昼休みも仕事をしたし、休日出勤もした。
それでもいつもいっぱいいっぱいでした。
ご飯を作れずに買ったものや外食で済ます日も多く、誰にも責められていないのにそんな生活への罪悪感を感じていました。「今日、このままお風呂に入ったら死んでしまうかも」と生命の危険を感じるほどに疲れている日も少なくありませんでした。
すべては自分の弱さや変な責任感のせいだけど、いろんなものにがんじがらめになり常に苦しかったんです。
長年の社会人生活で、ここに書けないほどつらいこと、理不尽なこともたくさんあったし、心ない人にもたくさん会ったのに、そんな時期は全部乗り越えてきたはずなのに心も体も悲鳴をあげていました。
くたくたで気力だけで持ちこたえているような、魂は抜けてしまっているのに体だけ動いているようなそんな日々でした。
「安定」という名の鎖
多くの方が公務員=安定と思うように、わたしにとっても「安定」はとても大きなものでした。
安定という鎖さえしっかり握っていれば生活に困ることはない。逆を言えば、その鎖をはずすにはとんでもない勇気が必要ということ。
1歩先は崖かもしれない。
真っ暗闇に転落してしまうかもしれない恐怖と向き合うことになります。
共働きを想定して組んだ住宅ローン。
子どもたちには十分やりたいことをやらせてあげたい。
公務員である娘を誇りに思っている両親の気持ち。
定年まで働いて退職金をもらってから好きなことすべき?
辞めたところで実際わたしには何ができるのか。いろんな考えが頭の中を毎日ぐるぐる回りました。
「辞めるわけにはいかない」
そんな気持ちで数年、悩んで悩んで悩んでそれでも決断するのは怖かったんです。
魔法の言葉「もったいない」
退職の決意を口にしたとき、おかしなくらい、みんなが口をそろえていいました。
もったいない!
安定を捨てるなんてもったいない。
中には仕事ができるのにもったいないと言ってくれた方もいました。
でもわたしにとって「もったいない」のは自分の人生。
40代、もうすでに人生の折り返し地点を通過したかもしれません。
退職したら? 健康で好きなことができるとも限りません。
その前にこのまま働き続けたら? 病気になってしまうかもしれない。
そしてこの人生は1度きり。
そう思えたとき、自分が大切にしなければいけないものは何か気付いたとき、やっと自分を解放してあげられる決断に至りました。
韓国語という武器
わたしの社会人としての時間は韓国語とともにありました。人生いろんなことがある中で唯一変わらずそばにあったもの。それが韓国語です。
生活の中でどんなにつらいことがあっても、2年間通った韓国語スクールは1度も休んだことはなかったし、出産後もすぐに先生に来ていただいて授業をお願いしました。長く悩んだ時間にも、趣味というものが特別ないわたしにとって、15分程度のスキマ時間勉強は唯一の癒しでした。
韓国語という支えがあったから、どうにかこうにか持ちこたえていたのだろうと思います。韓国語に向き合う時間だけが本当の自分だったのかもしれません。
そんなにそばにあった韓国語。でも実は職場の誰にも韓国語のことは話していませんでした。韓国語はわたしを守る「盾」だったから。
いままでは韓国語で自分を守ってきたけれど、そろそろ自分の韓国語で戦っていくときが来たようです。
まだ心もとない、すぐにポキッと折れちゃいそうな弱っちい「剣」ですが、これから磨きをかけて人生を切り開く武器に変えていけたらいいなと思っています。
さいごに
わたしは決して「こどものために」を第一に考えるようないい母親ではありません。子育てと言ってもご飯を食べさせ、学校に送り出し、学校保育に迎えにいく、それくらいです。
それでもこどもがいて働くということの難しさを感じてきました。
どんなに夫が協力的であっても、実家などのサポートがあっても「母」であるという責任の重さに変わりありません。同時に「社会人」として業務を全うする責任に甘えがあってはいけない。
仕事に子育てにと髪を振り乱しながら日々奮闘するお母さん、お疲れ様です。時には自分を甘やかして短くても自分だけの時間も持ってください。
職場の皆さん、ご迷惑おかけすることが多々あるかもしれません。いろんな気持ちと戦いながら帰る後ろ姿を5秒だけ、いや3秒でも温かい目で見送ってあげてください。
仕事を辞めてから働く皆さんがまぶしく見えました。
面倒な人間関係、理不尽なことを経験しながらも、時にはやりがいを感じたりや自分の存在を受け入れてくれる職場という場所があることは、やっぱりありがたいこと。そして働くってかっこいい!
もちろん生きていくにはお金が必要。でも、その仕事がなくなったら自分がいなくなるわけじゃない。だからどうしてもつらい時は逃げてもいいと思います。
何もないわたしにとって「公務員」という鎧を脱ぐことは本当に怖いことでした。確かな何かがあるわけでも、どうしても叶えたい夢のためでもなく、ただ逃げただけなのかもしれません。
でも、ぶるぶると震える足で自分で踏み出した1歩を後悔していないし、これからも後悔しないと思います。
まぁ、きっとどうにかなるでしょ。
わたしなら、なんとかやっていくでしょ。
だって辞めちゃったもん。
そんな気持ちで歩んでいこうと思います。
いつも温かい励まし、ありがとうございます。これからのこぐまに期待せずに(笑)、行く末を見守っていただければ幸いです。
2023年1月 こぐま