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今年のこぐま屋珈琲店のこと


お正月の営業

大きな地震の被害におめでとうはどうかと思うのですが、
元日より営業しています。

1日〜3日 10時30分〜19時  4日〜6日 11時30分〜19時 
7日・8日 11時30分〜18時
お正月メニュー(お雑煮・お汁粉・元旦パフェ)は6日までを予定していますが、お餅がはやくなくなれば終了です。

すみません、今年はこんな感じでやろうと思っています。
怒らないでほしいのです。

12年目でしょうか。もちろんこれからも続けたいし、続けるために営業してきましたが、
日々積み重なる埃は油を吸い込んで、心とか気持ちとか
そういう類のものにベタベタとはりついて、
機敏に動くことができません。
いつだって「でもなぁ〜」とか
「それはそうなんだけどなぁ〜」とか言ってます。

飲食店独特の換気扇から流れ出る匂いみたいに、実際それはそうで
ちゃんと理由があってそうなっていて、
ここは飲食店のキッチンの裏、勝手口の前だから仕方のないことだと思って
何しろ、そういうものだからで
また日々は過ぎていくわけです。

去年でまたサイクルが終わったんだと思っています。

弟と一緒に必死に動いていた頃。
僕たちはとてもよく理解し合うことができていたので、
全部が単純でした。
弟のしたいこと、できること。続けられること、続けられないこと。
好きなこと、良いこと、嫌なこと、悪いこと。

僕はただ、毎日しなければならないことして、
行き過ぎてしまわないように、心が折れないように
楽しんで仕事ができるように、自分の決めたことに自信を持てるように
なだめり諭したりと言えば偉そうですが、
要は弟の顔を伺いながら、かき氷を食べるように削れていく
預金通帳を睨んでいた頃。

そして、弟は独立して
かわりにアルバイトをたくさん雇って
今度はよく知る家族ではなく、初めて会った他人と協力して営業する
よくある普通の飲食店、そのはずだったのですが、
どうも普通ではなかったみたいです。
このことについては何を書いても書ききれない気がするので
話を進めますが

そんな時は過ぎてしまって、今度はまた違う3つ目のサイクルです。
6年、6年で、これから6年の始まりの年になると思います。


何をしようかと思うのですが、
外見と内面の両方の変化があります。

外見部分の変化として
夜営業の再開です。
コロナ以後、夜の需要はまだ戻り切らず
特に都心部ではないこの地域では、何事にも時間がかかります。
京王線なら30分の新宿から半年や1年かけてやってきます。
いや、本当にやってくるのでしょうか。
大丈夫、京王ライナーなら座ることもできる。

そんな中で、ただの夜営業再開ではなく
お酒を中心にした店、こぐま屋BARを考えています。
ちゃんとしたBARほど敷居は高くないが、居酒屋では飲めない
お酒本来の味を楽しめる場所。

バーテンダーと向き合う店ではなく、友人や恋人や同僚と
気兼ねなく、静かに、ちゃんとしたものが飲める店
そんなイメージです。


昼のこぐま屋珈琲店の方は
昨年末からの自家製のお菓子の充実が
引き続き主になると思います。

雰囲気、楽しみ方、心地よさ
肌感覚的な部分は、相談というよりも
僕の思うとおりにしていこうと思います。

これはもうそれぞれが持つ美意識的な問題なので
説得や説明は難しく、だから
見て見ぬふりをしたり、目を瞑ってしまうことも多いのですが
正直、ここで店がダメになったら
どうしたって納得できないので、ここは揉めても通します。
この辺は内面の問題、僕の気持ちの問題です。
この油埃まみれのドロドロのフィルターと駆動部分の清掃。
ハウルのカカシくらいジャンプできるように
ハウル見てないのでよくわからないのですが
カカシみたいなの、忍者じゃなく畑にささってる方の。

恐れず自分を通すこと
判断を信じること
よく話し合うこと、話を聞くこと
ごきげんでいること
今年の課題です。


正解がわからなくなって、ふわふわとここ数年、
コロナのせいにしたり甘えたりしながらやってきた気がします。

でも、お客さんが戻ってきてくれて
従業員は一生懸命頑張ってくれて
僕だけがいつまでもふわふわと
海水浴場で5段階くらい変化した足先の海流くらい
温度差ができてしまった感じです。
僕はまだぬるまっこい波打ち際で貝殻を見つけては
「これはあの子にあいそうだ、あれはこの子にあげようか」などと
まったくお気楽に、みんなのことを考えているつもりで。

気がついたら、みんな遠く沖で手を振って
それならうまく泳ぎきって、未来の幸せを祈るだけと
拾った貝殻を握る手の痛みは
当然僕にだけの罰として、穴のできた手のひらは本心を隠す罪として
要するに人生におけるリップカレントのお話。

実際僕は20歳の頃、湘南の海で
離岸流にさらわれたことがあります。
手を振る弟の楽しそうな顔がどんどん小さく見えなくなっていく
そのとき痛むほど強く必死に握ったのは
車型アンパンマン浮き輪のハンドルで
決死の気持ちでハンドルのクラクションをビービー鳴すと
アンパンマンでも、もちろんスケアクロウマンでもなく
だいぶ茶褐色な肌をしていたので
僅かにコーヒーパンマンかな?とも思いません。
飛沫をあげてライフセイバーが助けに来てくれました。

掴んだ腕で力強く引かれ、
右腕に残る茶褐色ライフセーバーの跡つく痛み
でもそれは罪でも罰でもありません。

ごった返した湘南海岸の視線
それはこれほどの美丈夫、
茶褐色ライフセイバーに注がれる羨望の眼差しではなく
小脇にアンパンマン浮き輪を抱えて支えられ歩く、惨めな僕への視線。
これが罰です。

耳元に小さな声で「大丈夫だから」と美丈夫の慰め。
僕は恥ずかしくて目を見ることもできず、
片手を上げて颯爽と去っていく後ろ姿の、
あの他の部位より少しだけ薄い色をしたハムストリングを
ただ見送ることしかできませんでした。
それが罪です。

あの美丈夫な茶褐色ライフセイバーにもう一度会い、
ありがとうを伝えたい。

それから20年以上経ちますが
いつ再会してもすぐわかるようにと
あのハムストリングと同じ色の自家製珈琲ソフトクリームを
テイクアウト280円(クマクッキー付き)で販売しています。


アンパンマンのハンドル付き浮き輪

次回は翌日川に流された話です。

















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