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逃亡者の様な生活の時「普通の生活」が僕の希望だった

僕は18歳から男でバイトしていた。戸籍の名前は女性らしくまた性別が女性のため、社会保険がない所でしか働けない。名前を偽装し、性別を隠し、戸籍に記載されている人とは違う人間として生きていた。ふと、逃亡者はこんな生活なんだろうか?と思った。

工事現場や引越し、イベント設営、ガードマン等様々な現場仕事をしてきた。現場で知り合う人たち。周りは年上ばかりだったのもあり、大人の世界を教えてくれた。18歳の僕はよくご飯を奢ってもらったり、クラブなどに連れて行かれ可愛がられた。

正直、最初はものすごく楽しかった。誰も僕を女だと知らない。嘘をつかなくていい事がこんなに楽だなんて知らなかった。ただ、手術前の体だけはどうにもならなく、コルセットで胸を縛り、下半身を触られてもいい様に靴下を丸めてパンツに縫い付けていた。
男の体の話になるとわからないから適当に話を合わせたり、その時はヒヤヒヤする事もあったが、大体はありのままで生活できた。

数百万の性別適合手術の為に休みなく働いていたある時、両親との和解。後に偽名で働く僕をみかねた父が20歳の誕生日前に改名に同意してくれた。当時は性同一性障害の理由では難しいとのことで、永年通称を理由に申立てた。

戸籍の名前が変わりまず原付免許を取り、性別欄がない身分証明を作った。それで社会生活がグンと楽になった。逃亡者からただのフリーターに格上げされた。

今思えば、よくやってきたなと。ただただお金の為に働く毎日。同級生の男友達は自分の人生を生きているのに、僕はスタートラインにも立てない事をふと思い出して自暴自棄になる事もあった。

だが、同時に見返したい思いが湧いてきた。好きでフリーターをしているわけじゃない!と、言いたい気持ちを抑え、フリーターをしている理由を作った。

特例法もない時代だったから、一生、女戸籍の僕は自営業しか考えてなかった。だから手っ取り早く料理人を目指すことにし、フリーターの理由を「料理の修行」にした。

そして遠い未来、僕の過去を知らない土地で店をして、事実婚なりで家庭を持ち、普通に暮らすことが僕の夢になっていた。

「普通」がとんでもなく遠いけど若い僕にはそれが希望だった。



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