新しいコンプレックスと言う言葉に共感
男へ性別適合手術をする時、最終段階の手術ではナイもの作るため、体のあちこちに傷が残る。
とても大きく、なかった事には出来ない範囲の傷だ。この傷跡やナイものをつくる難しさ、また金銭面でもこの手術を受ける人は少ない。
術後の身体的な特徴になるから細かい特徴は控えるが、日常生活に困る事も起こる人もいたり、決して楽な選択ではない。
だが、僕の周りの最終段階の手術をした人で後悔した人はいない。むしろ、トラブルもなく生活の質は上がり心はとても楽になったと話す。
僕は初めからこの手術をするために働いてきた。18歳の時に当事者が出していた本を読んで「600万貯めてアメリカにいくんだ」と。ほんの少し周りより英語が得意で、留学経験もあったからか、そのハードルは低かった。また金額も現実が見えていない子供だったおかげか、がむしゃらに働けば貯まると信じ込んでいた。
そんなわけで、僕には最終段階の手術を早く終わらせて自分の人生を生きるんだ!とこの手術は人生のスタートラインでしかないと思っていた。
結果、シス男性が持つ生まれながらの機能はないし、もちろん子供ができる事はない。ただし、血が通った温かい体の一部であり、しっかりとした知覚があり、正常な排泄ができる。そして何より言葉にするのは難しいけど絶対的な安心感がある。
若い時は、明らかに本物と違う見た目や、身体中の傷跡に「ここまでしても偽物なんだ」という思いに悲しくなる時もあったけど、これが不思議と年数が経つにつれ変わっていった。
それは25歳の時から18年以上も一緒に色んな経験をしてきたからか、本物にみえなくても僕の一部なのは当たり前であり、なくてはならない存在である。
体の傷も僕の一部で傷の酷さより、だらしない体の方が恥ずかしいし、なによりおじさんの服の中なんてだれも興味ない。
最近、Twitterでトランス女性の方が術後の自分のある部分について「新しいコンプレックス」と言っていた。
これをみた時に僕は心から共感した。そう、あの嫌悪感でどうしようもなくなる思いとは違い、皮膚の色やちょっと左寄りな所や憎めない形、本物とは違い個性あるけれど、これは僕の大事な一部。
色んな思いをしながらも性別適合手術を受けてできた体を新しいコンプレックスとして僕は受け入れて生きている。
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