覚悟とかなんとか

大学での仕事が終わって帰る頃、そこそこ遅い時間になっていることが多いのだけど、部室棟の方角からは軽音楽部の練習音が聞こえてくる。遅い時間までがんばってんねんなあ。熱中していると時間を忘れるよね。

かくゆうオレも中学くらいからバンドなるものをやっていた。まあ下手の横好きってやつでたいした腕ではないけど、そういいつつも好きなものは好きなんで、高校行くようになったころからヤマハの楽器店の、お客さんが入れる程度の広さがあるスタジオを借りて定期的にライブをやったりしていた。
そんなことを繰り返すと、なんとはなしに同じようにバンドやってる他の高校の連中とも知り合いになるもんで、お互いのライブをみにいったり、見に来てもらったりしていた。

そんなある日のこと。

知り合いになった他校のヤツのひとりが学校の部活のライブがあるからみにきてくれと言う。高校までいくのん?遠いやん?と嫌がっていると、いつもオレらがお世話になっているスタジオでするのだという。
そいつは学外のバンド活動だけではなく学校の軽音楽部にも入っていたのだが、その部活のライブはいつも学校の視聴覚室や音楽室を使う。でもたくさんのひとに聞いてもらいたいので学外でライブをしたいと部員が熱心に顧問の先生を説得したとかで、ようやく学外のスタジオで演奏する許可がおりたんだとか。その記念すべき「学内ライブ〜学外篇」(ややしい・・・)なのでぜひ来てくれとのことだった。
いつもの場所でやるんなら没問題。オレらの通ってた高校からも近いし、放課後に寄り道すればいいだけのこと。
「来てくれる? ああ、よかったありがとう。ほなこれも夜露死苦!」
と何か手渡してくる。
なんやねんと思いつつみてみるととチケット。
「部活のライブやのにお金取んの?」
「スタジオ代いるやん。」
「部費があるやろが。」
「あるけどもう使い道が決まってんねん。」「知らんがな。」「しらんでええから頼むわ〜。」
人に者を頼むときの態度というものがあるだろうと説教垂れる間もなくてのなかにチケットを捻り込まれて拝まれるとしょうがない。結局、カモにされてんねんなあ、と思いつつもまあ興味はあったのでチケット買ってライブに行くことにした。

ライブ当日。

結構、お客さんがはいってた、といってもその高校の制服だらけなんで学校の友達なんだろうけど、それにしても多い。特に女の子が多い。オレらのライブより多い・・・。ちょっとショック。
さすがに部活のライブだけあってジャンルはバラエティに富んでいた。ボーカルなしでフュージョンっぽい演奏をするバンドもあればフォークデュオみたいな女の子二人組があったり。おもろいなあ、と楽しみつつみてたら今度はソロで男の子が出てきた。なかなかのイケメン。女子学生の歓声が飛ぶ。どうやらこのクラブでの人気者らしい。たくさん集まった女の子たちのお目当ては彼だったようだ。
アコギ1本にハーモニカホルダー。いわゆる往年の「長渕」スタイル。まあカッコいいよね、こういうの。いちだんとボルテージのあがる黄色い声。
案の定、長渕剛さんの曲をやるみたい。最初は「巡恋歌」。
ギターをじゃらんとならしてキーをとる。
長渕さんの声のキーは結構高いので彼はそれより3つばかし落としてやるみたいだ。で前奏。ギターはコードを奏でる。それにあわせてハーモニカーのメロディがのっていつものメロディの・・・はず。んんん?
なんやこれ? キーが間違ってる? あれれ? ギターのキーとハーモニカーのキーが違うぞ?
歌は声のキーがあわないので落としたけど、ハーモニカのほうは、おそらくメロディを耳コピしたそのままなんだろう、原曲のキーで演奏している。
なんともちぐはぐな演奏。突如、異空間の出現。
女の子たちはとみると一瞬ざわついたけどその後はおかまいなし。手拍子と歓声。
本人は、とみると平然と演奏と歌を続けている。キーがおかしいことにまったく気がついていないらしい。
原曲キーのハーモニカが終わるとボーカルパート。いきなりおとしたキーでうたいだす。サビの部分で絶唱。それなりにもりあがったかと思うとまた原曲キーのハーモニカ間奏。ガックン。そして歌・・・・。
無間地獄という言葉をオレは思い出していた。
ちょうど隣におったツレに困惑の眼差しを送るオレ。苦笑いを返してきた。そうやよね。
結局、木に竹を接いだどころか、木にモノリスをつないでプラスティネーションしたみたいな演奏は無事(?)終了。演奏者ドヤ顔。ファン熱狂。
すごいなあ。
なにがすごいといってもキーがおかしいことに本人がこれっぽっちも気づいてないのがすごい。そして見てるほうは、たぶんおかしいことは気がついていたんだろ思うけど、そんなことおかまいなしに盛り上がってたのもすごい。
不思議な演奏やなあと思いつつみんな楽しんでいたのだからこれはこれでありなのかもしれぬ・・・・とはもちろん思わなかった。
狭い狭い内輪であれば受け入れられることがあるかもしれないが、ちょっとでも外に出れば指弾されるお話ではないか。誰かに聞いてもらうということをどう考えているのか。
ライブ後、オレらはいつもたまり場にしていたロッテリア(高校生はお金がないのでロッテリアが精一杯だ。あっても全部ギター関係に使う!)でイケメンを誹謗中傷する言葉を思いつく限り並べ立て、これでもかと繰り出し非難したのであった。
もちろんイケメンのくせに人前で演奏してさらにモテ要素を増やすことはけしからんという内容に終始したのである。

それはともかく。

ひるがって今。大学の先生なんぞをやっていると体験授業やオープンキャンパスで高校生のコたちが、あるいは大学内でも自分の絵をみてくれと学生たちが自作イラストを持ってきてみせてくれる時がある。
一昔前であれば絵やイラストを描くものはちょっと内気で根暗で陰気なコという認識が一般的だったと思うが、最近はそうとも限らない。相当イケメンの男子や、美少女という言葉はこのコのためにあるのでは?というレベルのコたちも多くなっている。
それだけビジュアル的に恵まれているのにさらにイラストが描けるなんてなんてモテ要素を積み上げるとはなんともけしからんはなしである。

おっと思わず興奮してしまった。話をもとに戻そう。

みせに来てくれるコたちの作品を見ると比較的上手いのが多いのだけど、なかにはなんともいえない人体造形のキャラ絵をみせてくれるコたちがいる。
人体の構造としてこのポージングはありえないのでは? 股関節が脱臼しているのでは? 首がもげているよ、というイラストが時折ある。あるいはアイレベルが上半身と下半身で全然別になっているとか。だけど本人はまったくそれには気がついていない。
もちろん多少おかしなポーズになっていようと、おかしな空間構造になっていようとそのイラストが魅力的であったり、キャラが素敵であればそれもありだというのがオレの基本的なスタンスだ。デッサンや人体構造至上主義ではない。たとえ変なポージングであろうと魅力的なイラストは存在するし、そうして「絵」という表現は進んでいくのだとも思っている。
とはいえ、魅力とは逆ベクトルの、むしろグロ画像というカテゴリーに分類されるべきものがあるのも本当のことだ。
見せにきてくれたということは批評が欲しいということだと思うので、作品を指差しながらちょっとおかしいのでは?と指摘しても「へぇ?」とわかってくれないことも多い。
しかたないので、人体の構造はこうだと自分の体をトルソーがわりに説明したり、目の高さともののみえかたの簡単な説明をすると、やっとわかってくれる。
もちろん絵やイラストというのは感性のものだ。本人がいいと思っているのであれば、それでOKと考える立場もあり得るとは思う。
でもオレにはあの時のライブでのイケメンを盛り上げる女の子たちのようには振る舞えない。

気がつかないことは「罪」か、という議論もある。が、そんな形而上の問題を持ち出すまでもなく「気づかねばならないこと」ということがあると思う。少なくとも「気づこうとする」努力は絶対に必要だろう。人前でえらそうに話をしている今のオレも同様だ。プロとしていくつもの仕事をしてきたとはいえ、気づかずにやっている「間違い」が今でもあるかもしれない。うちのコたちはもちろん、作品をみせてくれる高校生のコたちも同様だろう。
「気づく」ために常に自分をみつめる目が必要で、対峙するもうひとりの自分を育てなければいけないだろう。それが己の感性のみを武器に世間に対して闘いを挑む「表現する」ことを選んだもの、選ぼうとしている者にとっての「覚悟」なんだと思う。

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