アニメ虹ヶ咲2期が伝えてくれた、たった一つのことについて
※この記事は100%個人の感想でお送りしています。
・はじめに
アニメ『ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(以下アニガサキ)の2期が、6/25に最終回を迎えました。
本当に大満足の三ヶ月間で、今は楽しませてくれたキャラクターたちとキャスト、制作スタッフ、関わってくれた全ての皆様への感謝と、終わってしまったことへの寂しさでいっぱいです。放送翌日の日曜日はまた1期から見直したり、作監やアニメーターの皆さんが放送後にSNSでアップしていたイラストをずっと眺めたりしていた。
僕自身はあのアニメを見てすごく満たされたし、納得したし、彼女たちが最後に言っていたように「何かを始めたい」という気分になった。僕は普段、作品の感想としてよく見られる「元気をもらった」という言い回しはピンと来ないのですが、この作品に関してのみ言えばまさしく「元気をもたらす作品」でした。これについては後述します。
そして元気を受け取ることになった自分が最初に思ったのは「あのアニメを見た自分は何故こんなに前向きになったのだろう?」という興味、好きなものに対して詳しく知りたいという欲求です。
そこで、自分なりにあの作品を見てどう思ったのか、どんなメッセージを受け取ったのか、今の時点で分かったことを書き留めました。同じように虹ヶ咲が好きな人、語りたい人たちが、改めて作品を楽しむ一助になれば幸いです。
なお、何度でも繰り返しますがこの記事に書いてあることは全てが僕の個人的な解釈であり、作品の受け取り方の『正しさ』を保証するものではありません。
書かれていることを鵜呑みにするのではなく、あなたの解釈を大事にして欲しい。何故なら『他者の発想や表現を尊重すること』それ自体がアニガサキ2期の大きなテーマに含まれると自分では思っているからです。これも後で語ります。
僕の文章は読み捨てて、その上で納得できる話があったら取捨選択してくれると嬉しいです。
よっし前置き終わり。好き勝手言うぞー。僕の推しは侑ちゃんです。でもやっぱりヒトリダケナンテエラベナイヨー。
なお、この記事は2章立てになっています、前半はシンプルな感想とともにこの作品について凄いと思った点を語り、後半は2期で伝えたかったメッセージについて考えました。どうぞよろしく。
・超難易度のアニメ化を美しくまとめてくれてありがとう
終わってしまって寂しい。ひたすらそう思うくらいには、アニガサキはちゃんと終わった、たった2クールで13人の物語がアニメとしてちゃんと着地した。これがどれだけ凄いことか、虹ヶ咲をご存知の皆様なら承知されていると思います。
1期の時点でキャラクターは10人もおり、所属は同じなのにそれぞれが別々の方向を向いていて、大会のような共通の目的はないが皆を成長させなければならない。作中のノルマとしてMVを大量に必要とし、原作はあるものの原作とまるっきり同じストーリーにしてはならず、かといって原作の存在を無視するのも許されない。
この時点で僕が脚本家だったら夜逃げするレベルですが、2期は更に3人メンバーが増え、既存メンバーの掘り下げはある程度済んでいるが見せ場を偏らせることはご法度で、全体としても新たなステップアップを描かなければならず、ただでさえ尺が足りていないのにMVノルマも聖地の制約もそのまま。おまけに色々事情があって新キャラ周りの脚本やキャラ設定については最初から視聴者の見る目が厳しい……
「いくらなんでも無理ゲーだろ」そう思っていましたが、いやあプロフェッショナルの仕事というものは恐れ入りますね。100点を超えるクオリティでこれらを一つもしくじることなく見事にやってのけた。その事実だけで僕は本当に感服しています。
好きなエピソードの話をすると、まず1期で好きなのはダントツで1話。これについては過去にNoteを書いています。この記事より長いじゃねーか。
2期は一番好きな話があるというよりは、5話、8話、13話がそれぞれ異なるベクトルで好きといった感じです。5話はオタクとしてキャラクターの動きや絵面が好き。8話は特定のシーンが心に刺さったという個人的観点からの好き。そして13話は覚悟を決めて画竜点睛をぶちこんだスタッフへの敬意として好き。
特に2期13話は今までずっと丁寧な仕事をしていた制作陣が自分色の創作衝動を抑えることができなかったという点でかなり異色な話だと思う(だから13話の筋が納得いかないという批判も理解できる)。
そして、13話に注目すると2期でアニガサキが伝えたかったことは何だったのかというのがなんとなく見えてきた。
アニガサキの、特に2期の特徴として、「別媒体の細かいネタによるファンサービス」が挙げられます。1話冒頭のPVの時点で、にじよんやスクフェス分室の漫画ネタやキャストの写真を模した構図など、虹ヶ咲にまつわるあらゆる細かいネタをこれでもかと散りばめていた。僕も13話でにょぽむ出た時は流石に叫んだ。
僕は最初、これが古参ファンへのサービスとしてやってくれているものだと思っていた。ラブライブというコンテンツはマルチメディア展開されている2.5次元コンテンツであり、供給にコミットした量とコンテンツから受け取れる楽しさが比例するという厄介な特徴があるから、まるでアハ体験みたいな大量の小ネタもその一環なのかなと。
しかし13話を見た後だとどうもそれだけとは言い切れない。
一見古参ファンの方を向いているように見えていたファンサービスもまた、2期を通して視聴者全体に伝えたいメッセージを表す上で必要な意匠だったのではないか。
・2期で伝えたかったであろうたった一つのこと
これを説明する前に、侑ちゃんの2期までの成長を簡単に整理します。
もともとはスクスタの主人公である「あなたちゃん」が名前と肉体を受けて生まれた侑ちゃんですが、彼女はスクールアイドルを応援するファンという枠を、1期10話ごろから逸脱していきます。彼女は同好会のメンバーを応援しているうちに、自分自身にもやりたいこと、夢ができたと話す。そうすることで「あなた」という視聴者の分身でもあったスクスタの主人公ではない、「高咲侑」という唯一の個人へと進化しました。この選択はアニガサキ1期ファンブックのインタビューで、河村監督が自覚的に決断したシナリオだと話しています。アニガサキ1期は最終的に、高咲侑という「夢を追っている人を応援しているうちに自分自身にも夢が芽生えた子」の話になった。
そのテーマは2期で更に拡大されることになります。
2期の展開の中で、最初に不思議に思ったのは3話。
「NEO SKY, NEO MAP!」のピアノアレンジによる特殊EDという、2期の中でも屈指のサプライズが披露されますが、その前の侑ちゃんの独白が面白い。
ここで動機がかなり具体的に示されているのが自分にとって不思議だった。
通常であればここまで説明しなければならない理由もなくて、「音楽が好きだから」「みんなからトキメキを分けてもらったから」といったような、より直情的で広い動機の方が視聴者は理解も共感もしやすい。むしろ穿った見方をすれば「音楽でなくても良かったということ?」と問うこともできてしまう。だからこういう台詞が出てきたことには何か事情があったに違いない。
つまり、「侑ちゃんは自分なりの表現をすることを夢に設定している」ということを脚本上何が何でも提示しておきたかったのではないか。それはどうしてか? その答えを僕は13話で理解することになる。
13話でライブ会場に集まった皆に向けて、侑ちゃんがした演説を見てみましょう。
ちょっと書いてて泣きそうになってきた。そして、13話のラストシーンではライブ会場すら飛び越えて「次は、あなたの番!」とこちらに訴えかけるエンドになる。
ここで侑ちゃんは、「誰もが自分のように、誰かを応援する経験を通してオンリーワンの表現者になることがある。アイドルとファンは実は地続きなんだ」という話をしています。3話で「表現したいと思った」という自身の動機を話したのは、このメッセージを伝える先をアイドルや音楽だけでなく「表現全般」に拡大するため。
ステージの上にいるアイドルに限った話でなく、誰かの表現を目にすることで自分の中にもなにか表現をしたいという思いが湧いて、その結果のアウトプットがまた誰かの表現の源泉になって……そんな響き合いを肯定する言葉です。そして、この環には誰でも入ることができると伝えている。
「表現者とそのファンは相互作用するし、皆が等しく参加者である」――アニガサキの2期は、そのようなメッセージを伝えたかったのではないか。
侑ちゃんは、そうやって誰かから与えられた感動や衝動を「トキメキ」と称していて、歩夢ちゃんは「ライブをするだけでなくて、夢に向かって頑張る子」を「スクールアイドル」と再定義した。
鋭い方は気付いたかも知れませんが、この「皆が参加者」という文言はコミックマーケットの理念と同じです。
参考にコミケットマニュアルの冒頭に記載されている文言を掲載します。
勿論完全に一致するわけではないですけど、2期を通して見えてきた虹ヶ咲のあり方に近いと感じたんですよね。創作をする人も、感想を発信する人も、見るだけの人も、全員で協力してこそ成立する場所。自分のやっていることがどこを向いているかは分からないけれど、きっと誰かに届くと信じて活動している人たちの場所。
東京ビッグサイトをモチーフにした虹ヶ咲学園のスクールアイドルが、あの世界には存在しないコミケのような「表現への広い肯定」を果たしていると考えるとすごく納得感があった。
だから虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、あの世界にいるあらゆる情熱を抱えた子たちにとっての「帰る場所」であるのだと、僕はそう解釈しました。
さて、上記を踏まえて改めて見返すと、「響け! ときめき――」というフレーズに始まり、2期の1話から13話まで「皆が参加者」というメッセージはずーーーーーっと一貫したテーマだったのではないかと思えてくる。
「アイドルからファンに対して、感動は与えるだけで良い」という区分を引いていた1話の嵐珠ちゃんの言葉は確かに同好会のスタンスからは外れていたし、
4話の愛ちゃんは、自分の活動が美里さんという大事なファンの意欲を削ぐようなものになっていることに悩んでいたし、
12話の歩夢ちゃんは、まだスクールアイドルになっていない子を応援する目的で留学を決めていて、アイドルとファンの間で立場の上下を感じさせないその振る舞いは、まさに侑ちゃんの考えるトキメキのあり方にふさわしいと言える。
などなど、13話のメッセージを聞いてから見返すと1〜12話までの内容が次々ピースが嵌っていくように理解できた。ただ、リアルタイムで見ていると、
侑ちゃん自身がはっきり自分の考えを言葉にするまでに13話分の時間がかかったこと
その過程で他のキャラクターが抱える問題を全て解決しなければならなかったことからシナリオの寄り道が増えたこと
この二つが原因で芯を捉えるのが少し難しくなっているのではないかなと。
また、このテーマはまだまだエピソードを膨らませることができたとも思います。それこそ13話の内容は一本の映画にさえできたと思う。
特に栞子ちゃんは元々「やりたいことよりもやれることを」というスタンスだったので、このテーマだと大きな鍵を握るキャラクターだと思うのだけれど、十分な活躍の場を設けるにはとにかく尺が厳しかった。作り手には成し遂げる実力があったから、尺が全部悪い。1クールじゃなくてもっと伸ばしてあげて、その分予算もたくさんつけてあげて、スタッフとキャストみんなに美味しいもの食べさせてあげて……
そしてこの「皆が参加者」の気持ちは侑ちゃんだけでなく、同好会の他の子達も同じ。むしろ、各人の個性が突出していて全てにおいてバラバラだった同好会のメンバー13人が、皆の表現を祝福する気持ちだけは全員同じ思いであるということが、最後の曲『Future Parade』で表されていました。
学園の制服の着こなしさえバラバラだった彼女たちが、最後の最後に歌った曲の衣装が、『統一された制服風』なんですよ。泣くでしょ。
そしてそして、彼女たちだけではありません。メタ的なものの見方になってしまいますが、制作陣自身のこのアニメに対する姿勢までもが、「皆が参加者」の精神を貫いている。
前項で言った「別媒体の細かいネタによるファンサービス」がその一つです。つまり2期の制作陣は、これまでの、自分たちが作った領域ではない虹ヶ咲の要素までも、可能な限りすくい上げようとしていた。皆が参加者なのだから、虹ヶ咲にまつわる全ての表現を肯定し、受け入れ、尊重する。未来ハーモニーの再現やスクールアイドル部の話題提起など、難しい話題まで入れようとしたのは、制作する自分たちがまず侑ちゃんの台詞にふさわしい表現者であると示しをつけるためだったように僕には見えました。
そこまで魂を込めてアニガサキは「あなたも一緒にやろうよ!」と言ってくれている。
どう受け止めるかは当然その人次第だと思うれけど、僕は、彼女たちの期待にできるだけ応えて、彼女たちの活動にできるだけ報いることで、彼女たちの活動により尊さを見出すことができると思った。
だからもっと日々を頑張ろうと決意した。つまり、「元気をもらった」んです。もらわないわけにはいかなかった。明日を活動的に生きるための元気を。後悔しないための努力の源を。
勿論アニガサキのテーマも、現実では万能な剣ではありません。表現の間口は誰にでも開かれていると言ったって、評価されたいとか、上手くならないという悩みは常につきまとう。そもそも夢は全員が叶えられるようにできていないし、自分のやりたいことと社会との折り合いを迫られることもある。けれども、せめてあの世界でくらい、全ての子が自分のトキメキに正直に生きることができて、そして祝福されて欲しい。僕はアニガサキからそういった祈りのようなものを感じたんです。
また同時にアニガサキは、「新しいことを始めること自体を否定する人」「他人の夢を嗤う人」には徹底的に冷淡で厳しいアニメだなあと今になっては思います。この話はまたいずれ。
・おわりに
ここまで読んでくださってありがとうございました。
アニガサキのことはめちゃくちゃ好きだったしもっと見ていたいし終わって欲しくないけれど、今の気持ちを「3期や劇場版が欲しい」という感想で示すのはちょっと正確ではない。
本当に綺麗な筋書きで話が終わり、時は移ろい、彼女たちは成長した。だからこれ以上何かを望んでいるわけではない。ただ単に、「時は流れる」という自然の摂理に感傷を覚えているだけだ。アニメ関係ない。
そして、こういう抽象的な余韻をもたらしてくれるアニメは僕にとっていいアニメです。
作品に関する感想について、また色々思いついたら書き足したいと思います。アニガサキはアイドルアニメとしても大分特異というか、アイドルがファンに自立や自主性を求めるのってアイドルへの依存をも断ち切りかねないから、メッセージとして打ち出すのは商売的にかなり『変わってる』よね、という話とかしたい。あとは、コロナ禍等で同人イベント自体が縮小しつつある昨今、「皆が参加者」の精神が今の若者にピンときているのか、とかを知りたいかな。
なにはともあれこうやって文字にして吐き出すことができてスッキリしました。アニメに感動して、こうやって自分の思考を文で表すというのもまた、トキメキの産物には違いない。
こうやって自分の内側にある、なにかに触発されて新しい表現をしたいという気持ちが生まれる度に、僕は虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の子たちのことを何度でも、
何度でも、何度でも、
思い出すのでしょう。