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【本】内田樹『修行論』:我執を去るということ
木曜日は読んだ本の紹介をしています。
2025年2月27日(木)
内田樹『修行論』(光文社, 2013)をKindle Unlimitedで読んだ。修行について、瞑想について、レヴィナスについて、坂本龍馬について語っている。私はテニスを「修行的に」やっていると感じているが、その意味で腑に落ちることがいくつかあった。
修行は、その中で何をしているかについて事後的にしか言葉にできない行為である。稽古を重ねるとまるで操り人形が踊っているかのようになっていく。修行することで「いるべきときにいて、いるべきところにいて、なすべきことをなす能力」が高まっていく。つまり、状況把握能力=文脈を読み出す能力が高まる。
合気道は愛と和合の武道とされる。和合というのは他者と共生・同化する技術ということ。どんな危機的状況でも生き延びる技法。敵を広義に捉える。自分の不調をなんらかの原因があることと理解することが敵を作り出す。
「我執を去る」とは、私に技術や能力を与えるのではなく、「私」が解体されていくプロセスのこと。敵を忘れ、私を忘れ、戦うことの意味を忘れる。
努力と成果は相関するというスキームには欠陥がある。自分が自分の身体の支配者であるという全能感が依存を生む。そうではなく、心身の使い方そのものを(赤ちゃんのように)バージョンアップすること。
「科学的」というのは知的枠組みを超越するものがあると認める態度のこと。超越するものは存在しないということではない。射程の長い研究をすることが大切。長期にわたって淡々と継続するスタイルを目指す。そこでは日々のルーチンを稽古として行う。
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