【本】平野 啓一郎『私とは何か――「個人」から「分人」へ』:いろいろな顔を持つことへの肯定。
木曜日はお勧めの本を紹介しています。今回はこの本を取り上げます。定期購読者が増えるたびに、感謝を込めてその日の記事を全文公開にしています。
■要約
たった1つの「本当の自分」など存在しない。対人関係ごとに見せる複数の顔がすべて「本当の自分」である。これを「個人 (in-dividual) 」の対立語として「分人 (dividual) 」と呼ぶことにする。個性とはこの分人の構成比率によって決まる。分人の概念を導入すると、個人は分割できる。一方で、それぞれの分人は他者との関係において分割不可能となる。自分は他者との相互作用の中にしかない。
■ポイント
分人主義を採用すれば、大学時代の友人たちといるときの自分と、今の職場の同僚たちといるときの自分と、自分の家族と一緒にいるときの自分が、それぞれに違っているのは自然なことになる。自分が囲まれている人々との相互作用によってそのときの分人が作られるからだ。
同様に自分が付き合う相手もまた、自分向けの分人として付き合っていることになる。したがって自分の分人と相手の分人は、互いに規定し合っているという意味で「分割不可能」となる。相手が幸せそうなら、半分は私のおかげであるし、反対に、相手が不幸そうなら、その半分は自分のせいである。
人は人生の中で、いろんな自分を生きてみたい。それはいろいろな人との対人関係を持つことで可能だ。1つのコミュニティの中だけで1つの分人だけを生きるのはストレスになる。
■感想
一対一の対話は強い。自分の分人が相手の分人に直接語りかけるからだ。しかし、相手の分人は、その発言を別の分人の中(たとえば家族や別の友人コミュニティや職場の人々)において吟味することができる。それで「やはりそれはおかしい」ということになるかもしれない。しかし、そのときにそれを決めているのは誰か。それはアドラー心理学のいう「個人」という仮定を持ってこなければならないと思う。
分人主義では、付き合う相手、そして自分が居ようとする共同体の中において、それぞれの分人を構成する必要がある。そしてそれらを統合しようとする個人が必要になるだろう。作者の分人と個人とを行き来するというモデルはまさにこれと言える。アドラー心理学から見れば、分人は個人が必要に応じてつける「ペルソナ(仮面)」ということになる。ペルソナに積極的な意味を与えようとするのが分人主義ということなるだろう。
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