身体の自由が制約されると思考が自由になる。
2017年2月1日
(水曜日はフリーテーマのコラムを書いています)
なんであっても自分の自由が制約されるのは嫌なものです。たとえば、会議中とか、授業中とか、電車や飛行機で移動中とか、講演を聞いているときなど。自分の身体があまり自由には動かせないときです。
最近気がついたのですが、こうした場合、身体の自由は制約されているのですが、その一方で思考はとても自由になるのですね。いろいろなことを自由に考えられる。特に、学会講演や研究会の発表を聞きながら、半分の注意は話に振り向け、残りの半分の注意は自分の好きなことを考えると、化学反応が起こったようにいいアイデアが降りてくることがあります。
これに気がついてから、人の講演や研究発表を聞くことが楽しみになりました。半分は聞ける話そのものが楽しみなのですが、たとえその話がつまらないものであっても、自分の思考が自由にできるから、何かしら収穫があるのです。
考えなくてはいけないことがあって、わざわざそのための時間を作って考えてもたいていは良いアイデアは浮かんではこないのです。良いアイデアは、他の人との会話や他の人の話を聞きながら浮かんでくるのです。
ですから、すみません。私があなたと会話をしていて、急にメモを書き出したとしたら、何か良いアイデアが浮かんだのです。それはしていた会話とは全く関係のないことかもしれません。許してください。
ここから先は
0字
ご愛読ありがとうございます。もしお気に召しましたらマガジン「ちはるのファーストコンタクト」をご購読ください(月500円)。また、メンバーシップではマガジン購読に加え、掲示板に短い記事を投稿していますのでお得です(月300円)。記事は一週間は全文無料公開しています。