[コラム3.1] “勇気づけ”ってなんですか?
勇気づけ(Encouragement)はアドラー心理学のキーワードのひとつです。褒めたり叱ったりすることをやめて、勇気づけをするといいですよ、という主張をします。簡単に言えば、
「賞罰」によって他者をコントロールするのではなく、「勇気づけ」によって協力関係を作りましょう。
ということです。
このようにいうと、「いや、私は褒められるとすごくやる気が出るんです」とか「真剣に叱られて目が覚めたことがあります。その人に感謝しています」と反論する人が出てきます。つまり、褒めたり叱ったりしても勇気づけは可能だという反論です。
この反論に対して、私はこう答えます。
「いや、褒めてもいいですよ。相手が勇気づけられるのであればね。それから、相手が勇気づけられるのであれば、盛大に叱ってもいいですよ」
そうすると、反論した人はキョトンとしたあと、混乱します。「いったい勇気づけってなんなんですか」と。
また、こんなふうに聞いてくる人もいます。「勇気づけはすごくいいと思います。自分の子供や他の人たちを勇気づけするには、どのように言えばいいのでしょうか」。つまり、勇気づけとは「どのように言葉がけをすればいいか」という問題であると考えている人がいます。
このような質問に対して、私はこう答えます。
「勇気づけとはどのような言葉をかけるかという問題ではありません。黙って微笑むだけで、勇気づけできる場合もあります。反対に、どんなに美しい言葉を重ねても、勇気づけできないどころか、反抗されてしまうことがあります」
このようにいうと、相手は「じゃあ、いったい勇気づけするためには、どう言えばいいんですか」と詰め寄ってくることになります。
なかなか難しいですね。
こんなようなわけで、しばらく前から私は勇気づけの「操作的定義」を作り、それにしたがって説明するようにしています。
操作的定義というのは科学の方法のひとつです。科学ではさまざまな概念を測定可能にすることが必要です。たとえば「暖かさ」という概念を「気温」という形で測れるようにします。「子供の教室での積極性」という概念を「先生の質問に手をあげる回数」で測ったりします。これが妥当であるかどうかは議論するとしても、ともかく測れるようにすることが科学の第一歩です。そのために操作的定義を最初にするのです。
では勇気づけの操作的定義を示しましょう。それは以下のようです。
「ある行為をして、その結果、相手が勇気を持てる状態になったとき、その行為を勇気づけと呼ぶ」
「勇気を持てる状態」は次のように定義します。
(1) 自立:自分の人生を自分で引き受けられそうだと感じている状態
(2) 調和:社会の中で他の人と協力して生きていけそうだと感じている状態
つまり、相手が自立し、また社会と調和して生きていけそうだと感じたとき、その直前にあなたがした行為を勇気づけと呼ぶのです。
これが勇気づけの操作的定義です。
ですから、あなたが相手に「がんばっていたことを知っているよ」と言葉をかけても、無言でにっこり微笑んでも、あるいは別のどんなことをしても、相手が勇気を持てる状態になれば、それは勇気づけなのです。
ですから、相手が誰であっても、どんな状況であっても、必ず勇気づけになるような「魔法の言葉がけ」はないのです。
そのときに「どんな声をかければ、相手が勇気を持てる状態になるかな」ということをよく考えて、試してみなければ、それが相手を勇気づけるかどうかはわからないのですね。
ですから簡単に「相手を勇気づけてあげよう」などと企まない方がいいです。
とはいえ、どういうふうにしたら勇気づけになるだろうかという工夫はあります。これはいわば「勇気づけの技術」ということになります。これについては[コラム3.2]で書きましょう。
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