超国家主義の戦時下、「プロパガンダ報道写真」に関わった写真家の反省と反動が戦後起きたリアリズム写真運動なのだと思う。
軍事産業から立場を変えたカメラ産業は、市場拡大の為カメラムーブを作る必要があった。
編集者を頂点とした雑誌、企業、アマチュア写真家達による構造的イコンに祀り上げられた人物が土門拳である。
ちくま文庫から出ている『土門拳写真論集』を読んでいると、アマチュア写真家達のスナップショットを土門がレトリカルな批評で切りながら「写真とは何か?」を定型化する努力をしていて非常に面白い。
毎月のコンテストと批評を続けるうちに「カメラとモチーフの直結」「絶対非演出の絶対スナップ」など方法論的キーワードが現れ、その後「リアリズム写真」を提唱する土門自身が『ヒロシマ』や『筑豊のこどもたち』と作品を発表していく。
大江健三郎をもって「写真が文学を超えた年!戦後日本でもっとも明確にされた人間世界の不条理と虚しみが見せる感動的な勇気の劇!!」なんて言わせた『ヒロシマ』は確かに凄まじいが、僕はこの写真を「リアリズム」と形容することに違和感を覚えるのだ。
さらに『筑豊のこどもたち』である。
これを見て直感したのは、「リアリズム写真」とはおそらく日本における特殊言語であり、「リアリズム」という言葉がまずもっておかしな使われ方をしているということだった。
僕から見ると『ヒロシマ』は〝社会派〟リアリズムであり、『筑豊のこどもたち』は〝社会主義〟リアリズムである(あるいはもう〝自然主義〟リアリズムと言っていいかもしれない)
本来、リアリズムとは写実主義、つまり「ありのままの世界を写す」というロマン主義への批判(『民衆を導く自由の女神』と『落穂拾い』を見比べるだけでそれは直感できる)が、そもそも写真は光学機器という性質上、現実の模写像という特性をもっているため「写真はすべて写実である」ということにもなるし、すると写真は写真である限り写実主義(リアリズムの実践)ということになる。
となると、そもそも「リアリズム写真」という言葉自体あいまいなのであり、戦後リアリズム写真運動に欠けているものは「リアリズムとは何か?」 という根源的な問いのように思う。
そこを無視してゴリゴリに人間側の〝視点〟で固められたヒューマニズムに訴える「リアリズム写真」という言語に違和感を感じ続けていたとき、僕は中平卓馬に出会ったのだ。
中平こそ徹底してこの問題を考え続けてきた。
以下、メモ代わりの断片的アフォリズムである。
ほとんどフッサールとハイデガーじゃないか。