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けつべつ宣言

「今は亡き幼き愛の日々を偲んで。」

4年ほど前から親子関係が悪化し精神の不調で悩んでいた。実際はそれ以前、学生時代から朝が起きれなかったりアトピーが酷かったりと精神科以外で病院には、お世話になっていた。地元が観光業で栄えており繁忙期になることにより母からバイトのことで一言釘を打たれたことにより○○未遂を犯し、7月後半から8月後半にかけて精神科に入院していた。
当初の入院から「適応障害+発達障害」という診断を最初から貰っていたのだが(今回の入院で9回目。)この適応障害というのもどうやら詳しく見ると違うらしい。
医師は、限りなく気分変調症に近いという。

小さい頃から朝が弱かった。
運動部にも入りたかったのだが、朝が起きれないことで断念。
私は希望していたので、両親にはよく軽くなじられていた。
走れば喘息を起こす。
体は年中アトピーまみれ。
卵は危ないかもしれない。お砂遊びも危ないかもしれない。
そんな環境の中で育った。

普通だったら、自分を恨むだろうが、私にはそんな気持ちは一切なかった。
なぜなら両親が難あり結婚の人々だったからだ。
小さい頃から愛情の存在には何となく気付いていた。

母の生い立ちは、働かない父親の元に生まれ、学業成績を求められ、下の兄弟たちに気を使い進路を決めた人だった。
母は恐らく子供が嫌いなんだと思う。
産んだからには育てなきゃいけないという義務感で、今日も接しているのだと思う。

父は子供が大好きな人だった。
欲しくて欲しくてたまらない人だった。
商売をやってる都合で1度破談。
2度目の結婚も長男が生まれた途端、相手方に親権と面接権を取られたまま養育費なしで離婚。
3度目の結婚に選んだのが私の母だった。

母と進路の話や衝突する度に、包丁を向けられたり、「あんたは父親が働いてくれて恵まれてる!」といわれて育った。
実はこの入院ではないのだが、何回目かの過去の入院で医局のトップの先生に「よく頑張りました」と褒められたことがある。リスカをしていない私には最大の褒め言葉かもしれない。

深夜は筆が乗るな。

そんな私は今回の入院で大胆なことに出た。
漢方を飲むように自ら志願したのだ。
9回の入院と4回の医療保護入院。
正直、疲れていた。
部活もやりたかったし、インカレも、大学もバイトも楽しみたかった。
心が折れたのだ。ここが終着点かな、と。
漢方を飲む、ということは体質改善になるのだが(飲む薬による)、生薬を口にすると元の体には一生戻らない。(薬が抜ければ別な話かもしれない)
人生を語るには早いかもしれないが24年という人生を生きて、恋愛する同級生や結婚する先輩方をみて、自分にもそんな春が来るかもしれない、という一途の望みにかけてみたかった、し、それと同時にありのままを愛されることを諦める絶望も湧き出てきたのだった。

ちなみに、この決断に驚いたのは医療関係者達だった。
中には、自分の経験を語ってくれて同情ともいえない、応援してくれる人もいた。
きっとあの人にはわからないな〰
なんて看護師さんもいた。

母にありのままを愛されたかった。
家族仲良く、何不純なく、次世代に繋いでいきたかった。
どこまで薬を飲むか分からないが、きっと将来生まれてきてくれる子供を私の母は愛してくれると思う。
3世代、私は繋いで行ける人になりたかったんだよって話。

「悲しみは消えないからこっそり楽しい思い出に混ぜよう🍀」

おわり。

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