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デザイン科OBインタビュー 佐原健先輩 中編
都立工芸高校デザイン科の進路学習の一環として行なうインタビュー企画、今回は本田技術研究所のデザイン室で四輪車のエクステリアデザインを担当する佐原先輩にお話を伺いました。
インタビュアー: OBインタビュー担当生徒3名
前編ではデザイナーとしてのお仕事の概要について伺いました。続く中編では、進路選択のお話や、より具体的なお仕事の内容についてお話いただきます。
ー先輩はなぜ工芸高校に行こうと思ったんですか。
実は中学生くらいから普通教科の勉強がしたくなくて、普通高校行って大学行ってというのが全く想像できなかったんです。絵を描いて工作したりして生きていきたいとずっと思っていて。高校どこ行くのとなったときにそういう高校があるというのを知って、しかも都立で家から通えたのでこれはいいという話になったのがきっかけですね。
ー先輩のお父様は車のイラストレーターをされていますが、その影響とかもあったのですか。
父は武蔵野美術大学を1年で中退してフリーランスとして活動していたんです。その姿を見ていたし、大学に行ってサラリーマン、みたいなサンプルが目の前にないから、早めにデザインの勉強をしようかなーと思えたかもしれないです。
もう一つは、デザインとはあまり関係のない進路に行った2つ上の兄がいるんです。当時ファミコンを兄が独占してて、僕はあまりそういうもので遊ばなかったので、後ろで絵を描いたり粘土をいじったりしていました。流行りの遊びをやらないで育って、気がついたら絵やものづくりが好きになっていました。
ー工芸高校の生徒にも、自分の絵だけでやっていく踏ん切りがつかなくてその狭間で悩んでいる子も結構いたり、私もその不安からデザイン以外の大学で勉強しようかなと思っていたので、そのエピソードには勇気がもらえます!
いや僕はもうそう思ったときには手遅れだったんです(笑) 工芸は早くからデザインばっかりで、三年生になったら実習三昧ですしね。就職するつもりでいたんですけど、当時は就職氷河期で、たとえ大学出ても職がない状況で、高校出たてのデザイナー志望は雇ってもらえないわけですよ。
大学行こうにも受験勉強してないし、3年生の中盤になってこれはまずいぞと感じて、その時は結構ギターをやっていたのでギタークラフトの専門学校に入ってギター職人になろうかなと考えていました。
でもその当時の担任の先生が桑沢デザイン研究所の指定校推薦入試を受験しないかと提案してくださったんです。一枠は他のクラスメイトが受験すると前々から決めているが、もう一枠あって、今年誰も受験しないとデザイン科の枠が来年からなくなってしまう。今その会議をやっているから午前中いっぱいで決めろと言うので、その場で父親に電話して桑沢に進学することになりました。
その時その先生がこの枠を他のクラスメイトに勧めてたら今こうしてインタビューしてないわけなので、本当に色々な縁が重なってデザイナーになったって感じですね。
ーそんなことが...!では、高校生の時から車をやりたいと考えていたではなかったのですね。
そうですね、高校卒業時は車ってことは決めていませんでした。でもプロダクトデザインはやりたかったんです。イラストレーターの世界ってギャンブルのようなもので、当たったらすごく当たるけど、どんなに絵が上手くても売れない人は売れないじゃないですか。僕はそういう世界はちょっと怖くて、プロダクトデザインのような実力で勝負する世界に魅力を感じたんです。
桑沢ではプロダクトデザインの専攻に行ったんですけど、一年生の終わりに桑沢の先生から佐原くんは何がやりたいのかと聞かれたので、電化製品かなと答えたら、「プロダクトやりたいなら車に行きなさい、車のデザインをやっている人は車以外の製品をデザインするチャンスもある。家電のデザインをやっている人がいきなり車やれって言われても絶対できないよ」とアドバイスされたんです。
たしかにそうか、扇風機のデザイナーには車は作れないけど、車のデザイナーがデザインした扇風機っていうのは世の中にありそうだなと納得して。
当時はホンダの枠しか桑沢に自動車の求人が来てなかったので、そこを狙っている人たちと競いながら、桑沢の中で求人枠を勝ち取ったというのがホンダに入るまでの経緯です。
高校生の頃って車と縁がないじゃないですか、免許も持ってないし、かっこいい車ってなんだろうとか、自分でデザインするっていう実感がなかったんですね。でも車のデザインを目指し始めて、A3コピー用紙500枚入りの束をたくさん買ってきて、それを持って桑沢の図書室で授業が終わったら車の絵をずっと描いていました。
実は、桑沢も1、2年生のときは車の授業はないんですよ。3年になると一応選択制であったんですけど、そこに来ていた講師の先生が元自動車デザイナーの方だったんです。授業が終わったらその先生のところへ何度も絵を持っていって見てもらっていました。
ーホンダに入社した後のことを教えて下さい。
入ったばかりの若い人は絵を描くことしかできないので、最初はたくさん絵を描くんですけど、車のこと全然知らない中でもかっこいい絵を描くと採用されるんです。その絵を多くの人が実物にしてくれるわけで、自分の絵が採用されるとモチベーションも上がるしすごく嬉しかったです。
2009年からはアメリカでアメリカ向けの大きい車に携わって、帰ってきて2013年から「クラリティ」という車を担当しました。外観は同じでも、動力が水素だったり電気だったりハイブリッドだったりする特殊な車です。
初めて外観デザインのプロジェクトリーダーになったんですけど、一般的なガソリン車ではないし、売る相手もよくわからないから、どんなデザインにするか本当に悩みました。でも会社内での期待は高くて、もっとかっこよくなきゃ、もっと高そうじゃなきゃ、というプレッシャーで大変でした。
その後電気自動車の「Honda e」を担当して現在に至るんですが、外観のプロジェクトリーダーをやったのはこの2つだけなんですね。
車のデザインってスパンが長いので、たくさんやるっていうわけにいかないんですよ。ファッションデザイナーとか、季節ごとに何十着もデザインしてどんどん世の中に出ていってみんなが着てっていうのは結構羨ましい(笑)
車のデザインは5年経たないと自分のデザインも出ないし、その間にプロジェクトリーダーが変わったりして、この車は最初の方だけ関わった、みたいな人も結構多いんです。この2台に最初から最後まで関われたのはすごく嬉しかったですね。
ー作業風景について教えて下さい。
(作業風景の写真を見ながら)これがリアルな作業風景なんですけど、ごちゃごちゃしてて、「おしゃれデザイン室」みたいな感じではないんですよ。
この一番大きい写真が実物大のクレイモデルで、最初に描いた絵を見ながら作っています。この左下にある大勢のおじさんが白いモデルを囲んでいる写真、これはエンジニアの人達がモデルを見に来て、ここはこういう風に作ったらいいんじゃないかとか話していて、デザイナー以外の人もいっぱい見に来るんですね。
最終的には鉄やプラスチックで作らないといけないので、それぞれが製造工程を意識しながら、実際に作ることができる形になんとか落としこんでいきます。この右下の写真は出来上がった、そのホイールのモデルをチェックしているところです。途中段階のモデルもいっぱい作りますね。
ーいくつぐらい作るんですか?
沢山作ります(笑) でもモデルを作って捨てるのは環境にも良くないしお金もかかるから、最近は3Dのバーチャルのデータで済ませて、なるべく物を作らない傾向にあります。
結局最後はもの作ってみないとなかなか判断出来ないところもあって完全に物を作らない訳じゃないんですけど、デジタル化は結構進んでますね。あとはPhotoshopで絵を描いたり、3Dモデルをレンダリングしたり、実物のサンプルを使って写真撮ったり、この辺はもうずっと苦しいんですよ。
実現したい形があっても、なかなかエンジニアリングの制約があったり、コストの制約があったり、技術的に出来ないことも多い中、なんとか良い物にしていきます。
でもそれが世に出ると、特にこの「Honda e」はすごい反響でした。
ジュネーブモーターショーでのお披露目のために実際ジュネーブに行ってインタビューにも応えさせてもらったんですけど、空港で買った雑誌に「Honda e」についてドイツ語で書いてあった言葉を翻訳したら、世界で1番クールなEVって書いてあったんです。その時はちょっと嬉しかったですね。
ジュネーブモーターショーで多くの方に気に入ってもらえたのもありますが、自分と見ず知らずのメディアの人とかヨーロッパのセールスの方たちから一緒に写真を撮ってほしいと頼まれたり、この車を沢山売ろうと多くの方が一生懸命頑張ってくれていたのは凄く嬉しかったです。このあたりのスケール感は自動車ならではだと思いますね。
後編では、工芸高校在学当時のお話を伺います。